1880年代後半にトーマス・エジソンは直流送電を中心としたシステムを提案したが、テスラは交流送電を推進し、エジソンと敵対した。その後、テスラはジョージ・ウェスティングハウスから研究費100万ドルと特許使用料を提供され、エジソンとの「電流戦争」に圧勝し、一躍時の人となった。
テスラは天才と呼ばれたが、風変わりな人物で、異常な潔癖症やハトの溺愛などのエピソードでも知られている。彼に関しては様々な憶測が流れ、殺人光線や人工地震発生機の開発に取り組んだという説もある。
1896年に、テスラはワイヤレス電力伝送の実験を開始し、翌年にはニューヨークの研究施設で実験を行った。そして、地震が起きたと勘違いした近隣住民が警察に通報するほどの振動を発生させた。テスラはこの共鳴装置の原理を雑誌「The World Today」の記事で説明した。
記事を執筆したAllan L. Besnsonは、実験の模様を次のように記している。「テスラは小さな発振器をコートのポケットに入れ、建設途中の鉄骨ビルを探しに街に出た。そしてウォールストリート地区で、まだ鉄骨だけの10階建てのビルを見つけた。そこで発振器を柱に固定して調整を施すと、ビルがきしんで揺れ始め、地震が起きたと思ってパニックに陥った作業員が降りてきた」
その後、警察が現場にやって来るとテスラは発振器をポケットに入れて立ち去ったという。「あと10分あればビルは倒壊していただろう。このマシンを使えば、ブルックリン橋を1時間以内にイースト・リバーに沈めることもできたはずだ」とBesnsonは書いている。
テスラは人工地震発生機の平和的な利用法を考えていた。地震エネルギーを地中の岩の振動で伝達し、遠隔地で電力に変えるのだ。しかし、彼のプランは実現しなかった。伝達に用いるデバイスには、地中を通してエネルギーを送れるほどのパワーがなかったのだ。
しかし、振動を発生させて地球の内部を観察するという彼のアイデアは実用化された。人工的に発生させた地震波を地中に送ると、断層や異なる層の岩石で反射して戻ってくる。戻ってきた地震波を研究することで地球のレントゲンを撮るような研究が可能になった。
現代の地震学者たちは今でもこの原理を使っている。科学者たちはエネルギーパルスを地中深くに送り、戻ってきた信号の分析結果を基に、地質構造の分析を行っている。
イーロン・マスクのEV(電気自動車)メーカー「テスラ」の社名は、ニコラ・テスラにちなんでつけられたものだ。マスクはニコラ・テスラの信奉者として知られている。