「努力」という言葉だけに満足していないか | 野村忠宏 #30UNDER30

柔道家 野村忠宏

柔道家 野村忠宏

今年で2回目の開催となる、30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」。
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今年は、昨年度の5部門から10部門に増やし、幅広い領域で活躍する30歳未満を合計30人選出する。選出に際して、各部門の第一線で活躍するアドバイザリーボードを組成。各界のフロントランナーたちに選出審査を依頼し、その結果をもとに編集部で協議を行った。



「小さな巨人」の異名を持つ柔道家 野村忠宏。超人的な集中力から美しいキレのある技を繰り出し、男子柔道60kg級でオリンピック3連覇の偉業を成し遂げた「天才」だ。
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現役中に医学博士号も取得し、現在はコメンテーターとして活躍する一方、後進の育成という「柔の道への恩返し」に勤しむ毎日を送る。

祖父、父ともに柔道師範という柔道一家に育った野村。柔道は大好きだったものの、子どものころは女子に負けるほど弱かったという。

そんな彼がどうやって世界一になれたのか。今回、DOU部門のアドバイザーとして選考を行ってくれた野村が、後輩に向けてのエールとともに語った。

女子にも負けた。大好きな柔道で、まったく期待してもらえない少年時代

私の20代は、すべてがオリンピック一色でした。21歳のアトランタ、25歳のシドニー、29歳のアテネと、オリンピックで3連覇を成し遂げ、生活のすべてが柔道という感覚。とても苦しかったけれど、振り返っても充実した日々だったと胸を張れます。

自分のことを「天才柔道家」などと言ってくださる方もいらっしゃいますが、そもそも自分は最初から「天才」だったわけではなく、とても「遅咲き」の人間でした。

柔道を始めたのは3歳の時。祖父も父も柔道家で、祖父が創設した「豊徳館野村柔道場」に通い始めると、どんどん柔道が好きになっていきました。

が、幼いころは身体も小さく、弱くて、試合では負けてばかり。中学生になっても女子に負け、高校生のときには、監督を務める父から「無理して柔道をしなくてもいい」と、気遣われてしまうほどでした。

大好きな柔道で、まったく期待してもらえない──。

その事実が悔しくて悔しくてたまらなかった。
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文=松崎美和子 写真=小田駿一

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30 UNDER 30 2019

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