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2019.09.05 07:30

「本屋さんが来た!」 |アマゾン ジャパンができるまで 第8回


「1999年後半当時、出版業界ではアマゾンが日本に来るらしい、そして、商品調達の取引有力候補はどうも大阪屋らしい、との噂が、なぜか出回っていました。複数の日経の記者から大阪屋の広報に、『アマゾンと取引するんですよね』との問い合わせもあったくらいですが、実際はわれわれにはアマゾンからは何のコンタクトもなかったのです。

しかし、しばらくして岡村勝弘氏から実際に連絡があり、大阪屋の基幹倉庫のKBCに来ていただくことになりました。そしてこの時すでに、ネット書店を強く意識した「リアルタイム更新型倉庫システム」の計画もプレゼンしたのです。実は、われわれは、これからのネット時代を乗り切ることを目標に、アマゾンから話がある前に大阪屋として独自プロジェクトを立ち上げていました。

そのこともあって、大阪屋の単品管理のレベルや対応力の高さが評価されたのでしょう。大阪という地弁の悪さにも関わらず、アマゾン ジャパン上陸に協力することが決まりました。
 
ところがそれからしばらくして、おそらく2000年の始め、打合せで新宿のアマゾン仮オフィスを訪問した時のことです。長谷川純一氏と西野伸一郎氏との面談でしたが、その場で大阪屋『単独』での、『アマゾン直取引』の可能性を打診されたのです。他の取次は大手リアル書店に遠慮して、直取引は断ったようでした。

単独取引は話の前提と大きく異なるため、その日は即答を避けましたが、持ち帰って担当取締役と相談し、受けることになりました。既存大手書店に対する気遣いがあるのと、アマゾン・ドット・コム本体が決算上赤字続きであったことから、社内では反発が非常に多く、説得には苦労しましたが」

ちなみに、大阪屋にコンタクトしたきっかけについて、西野は以下のように回顧する。

「確か1999年後半、僕の携帯電話に突然、『週刊ダイヤモンド』の記者から電話があって、『アマゾンは大阪屋と組むと聞いたが本当か?』と訊かれたんです。僕らは、それまで大阪屋は『大阪にある』という理由だけで除外して考えていたのですが、この電話が引き金になって、逆に、彼らと組むことを検討しようということになったんです。ビジネスには本当に、何がきっかけになるかわかりませんよね」



筒井理枝◎アマゾン ジャパン、アスクル、楽天などを経て現在GUCCI【公式】オンラインショップ担当。ICU卒。山梨県甲府市出身。多ジャンルの音楽ライブと落語、日本美術、禅と飲食に体力と時間を費やす日々を過ごす。

文・構成=石井節子

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