大阪屋も本腰が入ってきた。まずは、書店配本用の在庫とは別に、オンライン(アマゾン)用の専用在庫が、ワンフロア分、確保されたのである。また大阪屋東京支社にも、今後の出版業界の行事、今後出てくるビッグタイトルの予定、イベント予定などをも把握するための専従担当として、古市恒久がアサインされた。
そして、毎週、渋谷のクロスタワーに通うようになった古市のために、「大阪屋さま部屋」と言われる専用の居室がアマゾンのオフィス内に設けられた。
そればかりではない。「番線」という書店コードも取得し、大阪屋から「補充分便」と「新刊便」の1日2便を出してもらう確約を得て、大阪屋の采配で「配本」を受けることになった。開店前に晴れて配本が受けられれば、出版社から「献本」ももらえる。
シアトルから遠隔でサイトコンテンツの準備をしていたエディターたちのフラストレーションも、これで解消した。日本から送られてくる「書籍の現物」で、自ら書評を書けるようになったり、日本にいる書評家に執筆依頼ができるようになったからだ。
他方、筒井はシアトル本社と渋谷オフィスの両方に、日本における「書店開店」の特殊なプロセスを理解させる必要にも迫られていた。とりわけローンチ時にお祝いの「特売」もできない再販制度について、英語で説明しなければならない。
長谷川と西野が大阪屋と筒井からの説明を元に、その特殊性を理解してからは、当時はまだ英語があまり得意でなかった筒井に代わって、2人が、本社説得を一手に引き受けてくれた。それまではまさに、筒井が孤軍奮闘、必死の闘いを繰り広げていたという。
ロゴ入りブックカバーを巻く日々
ローンチに備えて、日本の書店としては常識的なサービスである「Amazon.co.jp」のロゴ入りのブックカバーもつくられた。そこは、昔取った杵柄。筒井は市川塩浜の倉庫で、このカバーをかける作業をスタッフたちに教えた。
2000年11月1日深夜のローンチに向けて作られた、「Amazon.co.jp」のロゴ入りのブックカバー。最初は、ディストリビューション・センターで「1枚ずつ手で折って、本に巻いて」箱詰めしていた。
ちなみにデイブ・クラークというシアトルからの助っ人外人の1人に、「日本の書店では店員がブックカバーを手で折って、1冊ずつレジで本に巻いて売る」と話したところ、「そんなことは絶対にありえない。やっているとしても、機械があるに違いない」と言って信じなかったという。また、ローンチ後のバレンタインデーには、本と一緒に、サプライズで「チョコレート」を同梱して送ったという、今では考えられないエピソードもある。
いずれにせよ、彼女は倉庫に行くたび、カテゴリー分類をまったく無視した「アマゾン本社直伝」の特殊な書籍の並び方に毎回ぞっとしながらも、慣れ親しんだ路面店の開店準備との違いを楽しみ、新しい文化が芽吹く香りをスリリングな思いとともに嗅いだのだった。
この間、大阪屋側の心境は、一体どうだったのだろう。元大阪屋で、アマゾンから声をかけられた時、会社に「今です、チャレンジです」と進言したという荻田日登志氏は、アマゾン ジャパン上陸に参画するまでの決断について次のように回顧する。