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会社員、イタリア家庭料理の道をゆく


毎回、ボローニャで居候させてもらっているネリーナが、実母の入院で都合がつかなくなったなか、「それなら、うちに泊まるといいわ。何泊だっていていいのよ」、そう手を差し伸べてくれたのは、料理の先生をしているマリアだった。

ほうれん草よりその味がするスープ

彼女との出会いは、私が初めてイタリアへ料理修行に渡った、これより4年前の1999年に遡る。有休をまとめどりしてイタリアへ渡った2カ月のうち、前半はボローニャに1カ月。後半はネリーナの制止を振り払い、1人モデナへとベースを移した。

そこで私は、ひょんなことから小さなトラットリアで働くことになったわけだが、午後の隙間時間に地元の主婦が集う小さな郷土料理教室に何度か通っていた。その教室で先生をしていたのが、隣町のボローニャから指導に通っていたマリアだった。



皮肉なことに、ボローニャから意を決してやってきたモデナで、ボローニャの人に料理を教わることになった。似たような料理でも、ボローニャとモデナでは呼び方や形が微妙に違ったり、トルテッリーニは「わが町の発祥だ」と互いに譲らなかったりと、何かと張り合う2つの町だけに、料理の本当の違いを知りたくてやってきたのに。「モデナに行ったって、何にもないわよ」ネリーナの言葉が蘇り、思わず後悔がよぎった。

ところが、このマリアという人の料理は、モデナだの、ボローニャだの、そんな細かい争いごととは全く次元の違う、イタリア料理の基礎、いや、イタリア料理が最も大切にすべき真髄ともいうべきものだった。

例えば、ほうれん草のヴェッルタータ。ヴェッルタータとはスープの一種で、イタリア語で「ヴェルヴェット」を意味する通り、きめ細かなポタージュ状のものを指す。煮込んだ野菜スープをガーッとフープロにかけて簡単レシピの代名詞のように調理する人が数多いるなか、マリアのやり方はまったく違う。

まず、最初の、ほうれん草の茹で方からして違う。深鍋の底にほんの少しの湯を沸かしただけで、ここに根を下にしてほうれん草を立てていれ、蒸し器を使わない野菜蒸しのようにしてざっと火を通す。水を最小限に抑えることで、アクだけを抜き、栄養や持ち味は逃さないようにするためだろう。

鍋から上げて、水にさらし、よく絞ったら、今度はフライパンでバターとともにじっくり炒めてほうれん草の甘さを引き出していく。これを目の細かい裏ごし器で根気よく裏ごしたら、ここでようやくブロードと呼ばれるだし汁を足していくのだが、これも言わずもがな、野菜と鶏から丁寧に取った黄金色のブロードだ。

さらにここで大きな決め手が。小鍋を別に用意し、バターで小麦粉を手早く炒める。これに牛乳を足せばいわゆるベシャメルソースだが、牛乳の代わりにブロードを足してペースト状のものをつくり、これを元の鍋に投入するのだ。さしずめ「とろみの素」というところだろうか、ほうれん草のスープはみるみるうちに、とろ〜んとした柔らかさと輝きを纏い始める。

クリーミーさを求めるときに、決して乳製品を使わないのも、マリアのこだわりだ。1点の濁りもない、鮮烈でドスの効いた深緑がゴージャスに輝く、文字通りの「ヴェルヴェット」の中に、この身を投げたくなってくる。

これだけで十分美味しいのに、極めつけは仕上げに卵の黄身を加えること。熱々のなかに入れるのでかき玉状にならないよう、右手を使って猛スピードで泡立て器を動かしながら、糸のように少しずつ黄身を垂らしていく。こうすることで、コクがぐっと深まるのがわかる。

それはまさに、ほうれん草よりもほうれん草の味がするスープ。マリアの手にかかった野菜たちは、なんと名誉なことなのであろう。

文=山中律子

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