ブランソンが英国の高校在学中に起業家としての道を歩み始めたことは有名な話だ。14歳で高校生向けの芸能雑誌を発行したブランソンは、創刊号で8000ドル(約86万円)の広告料を獲得。起業の道を志し、退学を決めた。
現在、ブランソンとそのヴァージン・グループは、「ヴァージン」の名前を掲げた会社を次々と立ち上げ、携帯電話やサービス、宇宙旅行、貨物など、ありとあらゆる事業を手がけていることで知られる。「ヴァージン」という名前は、ある従業員が「自分たちはビジネスで全員ヴァージン(未経験者)だ」との理由で提案したものだとされる。
ブランソンは、ヴァージン・グループの「子どもたち」すべてについて同じことを言っているのかもしれないが、彼はヴァージン・アトランティックがグループ企業の中でお気に入りだと語る。「ビジネスというより、部族のように感じる」とブランソン。ブランソンは1992年、立ち上げ直後の同社を助けるために、ヴァージン・レコードを約10億ドル(約1080億円)で売却した。彼は20年以上かけて作り上げた会社を手放すにあたり、涙を流した。
「私は70歳になるにあたり、ヴァージン・アトランティックの今後35年の未来を確固たるものにしようとしている」とブランソン。「世界最大の航空会社であるデルタ航空を含むいくつかの企業をパートナーに迎えたが、ヴァージン・アトランティックの株は常に維持するようにする」
ヴァージン・アトランティックは現在、デルタ航空が株式の49%を所有。エールフランス・KLMが最近、31%の株式を取得した。ブランソンはデルタ航空がヴァージンの「素晴らしいパートナー」となる分野は多いと説明。これには、ブリティッシュ・エアウェイズとの長年にわたる競争も含まれている。
ヴァージン・アトランティックは、ブリティッシュ・エアウェイズを名誉毀損(きそん)で訴え、損害賠償として100万ドル(約1億800万円)近くを勝ち取った。ブランソンはその賠償金を「従業員に対しクリスマスボーナスのように手渡した」と語っている。