まっすぐ私の目を見つめ、力強い口調で、こう語るのは朝鮮籍の元プロサッカー選手、安英学(アンヨンハ)だ。在日コリアン3世として、岡山県倉敷市に生まれた安。Jリーグでプレーする夢を追いかけ、立正大学に進学。卒業後はアルビレックス新潟に入団し、プロサッカー選手としてのキャリアを切り拓いてきた。
その過程において、もちろん苦労がなかったわけではない。冒頭の発言にもあるように、朝鮮人というだけで冷ややかな目で見られたり、時には差別的な扱いも受けたりした。そうした境遇を経験しながらも、彼は「人との出会いに感謝している」と言う。
NYの空港で僕を救ってくれた、一人の韓国人女性
そのエピソードとして、安はアルビレックス新潟でプレーしていた頃のブラジルキャンプでの出来事を語ってくれた。「たしかニューヨークを経由し、ブラジルに向かう便だったと思います。トランジットの際、入国審査のためパスポートを見せたら僕だけ止められ別室へ連れて行かれてしまったんです。拘束され、ブラジルに行けなくなると思い不安でした」
困り果てていた安の前にひとりのアジア人女性職員が現れた。話してみると彼女は韓国人であることがわかり、状況を彼女に伝えた。すると、彼女は安の足を止めた職員に英語で強く異議を訴えてくれたのだ。おかげでその職員は納得し、安は解放されブラジルへ向かう飛行機に無事搭乗できた。
「彼女は今も僕にとって救世主です。彼女が現れていなかったら、僕は遠征にいけず、悔しい思いをしていたでしょう。その次の年からの遠征はヨーロッパ経由になりました。僕が提案した訳でもないのに。当時監督だった反町さん(2008年北京オリンピックでU-23を率いた名将。現在は松本山雅で指揮をとる)をはじめ、クラブ全体が気を使ってくれたのではないでしょうか。本当に温かいクラブです」
「ヨンハと拉致問題は関係ない」救いの言葉
また、安は現役時代で印象的だった出来事として、2002年のことを振り返る。彼がアルビレックス新潟に入団した2002年、北朝鮮による拉致問題が明らかになった。拉致現場でもあった新潟は、事件が報道された当時大きく揺れた。
クラブハウスには「朝鮮籍を持つ安にプレーをさせるべきでない」と電話がかかって来たり、苦情が書き込まれたりする日が続いた。
そんな中クラブのスタッフは最後まで安を守るように、とにかくこの話題を安から遠ざけようとしたのだ。
「当時のスタッフによる温かい気遣いは今でも記憶に残っています。練習を見に来てくれたサポーターの方々も、僕が練習後去る時に『拉致問題はヨンハさんには関係ないからサッカーに集中して頑張ってください。僕たちはずっと応援しています』と言ってくれたり、事件の後も変わらず応援歌を歌ってくれました。忘れられないですよね、そういう恩は……」