キャリア・教育

2019.06.08 11:00

噛む努力をして喰らいつけ 食事と情報の「鵜呑み」の危険

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現代人は「噛む力」が弱くなったと言われます。そのせいか、顎が細くなってきており退化している、と。

確かに、僕自身、昔のように硬いものを食べる機会は減っていますし、帰国した際に原宿を散策しても、見えてくるのは「ふわふわ、とろける」と謳われた食べ物ばかり。口に入れただけで味がする柔らかいものだらけで、このままで未来は大丈夫なのか……と、つい心配になってしまいます。

そもそも咀嚼とは、口内で食べ物を噛み砕き、唾液と混ぜることで味わい、そして嚥下(えんげ)する作業のことですが、この咀嚼の回数が減ることが、現代病と言われる肥満や糖尿病、ストレスの一因であると言われ、「噛まないこと」で様々な弊害が出ています。

噛むことは、生きる努力である

僕には、フランスでのおじいさんのように慕っている人がいます。フランス味覚研究所(Institut du Goût)の創設者、ジャック・ピュイゼさん。世界的な味覚の権威と言われる彼に、定期的にお会いしては、「噛むことがどれだけ重要か」について議論しています。



その中でとても印象に残っているのが、「噛むというのは、生きる努力である」という言葉です。

人間は「オギャー」っと生まれて、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、鼻が利かなくても、お母さんのおっぱいに喰らいつき、お乳を吸うことで生きる努力を始めるんだ、と彼は言います。噛む力は生きる力。だからこそ、「manger(食べる)+ éducation(教育)=manducation(食べる教育)」、さらには「éducation du goût(味覚教育)」をしっかりしなくてはいけないというのが彼の理論です。

では味覚教育とは何か。勘違いしている人もいるかもしれませんが、それは「五感を使って味わうことを学ぶ教育」であり、「味を教える教育」や「味を認知したり覚えたりする教育」ではありません。

自分が味わったもの、食べて感じたことを表現できるのは、自分しかいません。他の人にはできないから、いかに自分で表現するかを学んでいく。つまり味覚教育とは、自分自身の感覚や鑑賞力を育てることであり、自分の心からの表現に対して正直になることでもある、と僕は理解しています。

すると、食べることから「自分の意見を持つことの大切さ」も学べるということになります。さらに、一人で食事するのではなく、食卓を囲み他の人と会話を交わせば、自分とは異なる意見や価値に触れることができ、人との違いを認め、理解し合うことにも繋がるように思います。
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文=松嶋啓介 写真=Getty Images

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