2011年では東日本大震災、2013年では東京オリンピック開催決定のエピソードが盛り込まれ、どちらも印象的なシーンが展開されており、このあたりに中野監督の時代に対する鋭敏な感覚が現れている。とくに2013年のシーンでは、開催決定の実際の映像も用意されていたが、権利関係から実現には至らなかったという。
その他にも、映画では、原作にはないエピソードがさまざまに盛り込まれ、小説とはまた異なる、深い感動を呼び起こしている。誕生パーティーで被る三角帽子、母と娘が手にした3本の傘、娘のつくるポテトサラダ、孫に残された漢字の名前など、独自のエピソードが数多く配され、前作の「湯を沸かすほどの熱い愛」と同様、ディテールまで丁寧に描かれていく。もう、それはまるでオリジナル作品のようだ。
「ずいぶん、原作に手を加えてしまったので、怒られるのではないかと思っていました。でも、中島さんにお会いしたとき、こんなふうになるんだと逆に感動されて、喜んでいただきました。小説と映画は違うものだとおっしゃってくれました」(中野監督)
左から竹内結子、蒼井優、山﨑努、松原智恵子 (c)2019『長いお別れ』製作委員会 (c)中島京子/文藝春秋
ひとつだけ原作者からの要望
認知症という深刻なテーマを扱っていながら、この映画は不思議なユーモアに溢れている。それは、余命いくばくもない銭湯の女主人の「最後の準備」を描いた前作にも見られたものだが、思わず頬が緩む印象的なシーンがたくさんある。原作者の中島京子さんも、中野監督にひとつだけ、「原作にある“おかしみ”だけは残して欲しい」と要望を出したという。
「この作品でもそうですが、ぼくが描きたいのは、いつでも、死の隣りにある生なのです。残された人間がどう生きるかを、描きたかった。悲しい題材ですが、そこでは人のほんとうの感情が露わになる。愛おしくも滑稽な姿も明らかになる。思わず笑ってしまう場面も多々ある。意図的に笑かすのではなく、思わず笑ってしまう、そんな作品をつくりたかったのです」(中野監督)
その言葉通り、中野監督は認知症になった父親の死の場面は映さない。それは、まったく遠い場所で観客は知ることになる。オリジナルに近い作品とは書いたが、この最後のシーンと冒頭の回転木馬の導入部は、原作の小説と一緒だ。中野監督の原作に対するリスペクトが現れているシーンだろう。
(c)2019『長いお別れ』製作委員会 (c)中島京子/文藝春秋
そういう意味で、映画「長いお別れ」は、原作の小説との素晴らしい「化学反応」に満ちている。幸せなコラボレーションといってもよい。映画と小説、比べながら両方とも味わうのも素晴らしい体験だ。ちなみに中野監督の次回作は、また完全なオリジナル作品に戻るという。そちらも期待したい。
連載 : シネマ未来鏡
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