日本では2018年6月、全国の社会起業家から組織されるNPO法人新公益連盟の働きかけを機に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2018」(いわゆる「骨太方針」)にも、このコレクティブ・インパクトが明記され、組織の垣根を超えた協働において、この言葉が使われる機会が増えてきている。
成果を上げている代表的な事例として、世界的にはイスラエルの高校で提供されるSTEM教育、日本では東京・文京区で実施されている貧困家庭への食料支援の「こども宅食」がよく知られている。
そんな流れの中、渋谷区では2016年から、企業・行政・NPO・市民のキーマンがコラボレーションし、まちの魅力を高めていく取り組み「渋谷をつなげる30人」が実施されている。「セクターの垣根を越えて対話によって新しい社会をつくる」ことをミッションに掲げるフューチャーセッションズが主催し、渋谷区の協賛のもと、2019年度には4期目を迎える。
毎年、渋谷区の行政、企業、住人など立場の異なるキーマン30人を集め、まるで同期のようなフラットなつながりで、互いのリソースを持ち寄りながら渋谷区のための企画を約1年間かけて行っていくプログラムだ。私は立ち上げ当初からディレクターとして関わっている。
このコラムでは、このプロジェクトを通じて渋谷区にどのような変化が起こったのか、実例を取り上げながら、クロスセクターによるまちづくりの価値や可能性について記していきたい。まず初回は、このようなプログラムを着想し、実施するに至った経緯を紹介したいと思う。
稼ぐだけよりも「社会を良くする仕事」を
そもそもの始まりは、私が大学生だった2000年頃に遡る。当時、私は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に通っていた。ITバブルが弾けた後で、なんとなく仲間内では「ただお金を稼ぐ仕事」よりも「社会を良くする仕事」の方がカッコいいという風潮があった。
私は一般企業に就職したが、仲間達は卒業後、社会起業家としてNPOを起業していった。例えば、病児保育を解決するフローレンスの駒崎弘樹氏や、キャリア教育支援を行うカタリバの今村久美氏など。当時、NPOを経営している人たちは良い意味で異端児として扱われ、「自分たちで社会問題を解決するんだ」という意気込みを強く持っていた。
社会起業家がNPOを設立する理由は、その「社会課題をなんとかしたい」という思いが原点にあるが、それを成功させるのは容易なことではない。
参考に、アメリカのある就労支援を行うNPOの例を紹介したい。そのNPOは、2001年の創業当初22人にサービスを提供していた。それが2014年には12都市2000人まで規模を拡大。これをビジネスの物差しで見ると、それなりに成功していると言える。
しかし、社会的な視野で見ると、米国には就労支援を必要としている人は670万人もいる。社会課題の解決においては、その670万人を変えられたか? が焦点となるため、22人が2000人になったという事業規模の拡大を簡単に喜べないのが現実だ。
同時期、日本のNPO業界においても、組織や事規模の業拡大だけでなく、「本当に現実を変えていくにはどうすればいいのか」がテーマとなり、本質的な課題解決に向けた協働の必要性が論じられていたが、目立った動きはそう多くはなかった。