筆者の名前はクローデン葉子。現在3児の母でもあるクローデンは、ロンドンでインテリアデザイナーとして活躍する。京都大学を卒業し、部署で初めて女性総合職として日本の企業で働き、世界トップレベルのビジネススクールに通い、そしてインテリアデザイナーへと転身した。そんな彼女は11年を経て、ブログを書きながら追い求めていた夢が「叶いました」と宣言する。
生き方が多様化する中で、自分の「理想郷」はどこにあるのだろうか。そして、どう見つければ良いのか。ひたむきに自分の「居場所」を探し続けた彼女から、そのヒントを探った。(以下、クローデン談)
とにかくヨーロッパで暮らしたかった
大学時代から旅行が大好きで、社会人になっても旅行を続けていました。新人時代に長期の休みをとろうとしたら、「帰国したらデスクはなくなってるぞ」と脅されたこともありました。
たくさんの国を訪れましたが、中でもヨーロッパの旅はずっと心に残っていました。20歳で初めてヨーロッパを一周した時に、そこで暮らす人々は働く時間が短くても、生産性がとても高いことに気づきました。働かない分、友達と家族の時間を過ごし、お金をかけずに豊かな時間を過ごしていたのです。
汗水垂らして働かなくてもなんとかなる、そんな社会に憧れを抱いていました。それから日本の商社に入社した時もずっとヨーロッパ駐在の部署を希望していました。
ただ、駐在で暮らすよりも現地でローカル企業に採用された方が住みやすいと気づき、留学する決意をしたのです。
世界トップレベルのビジネススクールに通った理由
INSEAD卒業5周年、仲の良いトルコ人友人たちとINSEADフランスキャンパスで(写真=クローデン葉子)
私が通ったINSEAD(インシアード)は、世界トップレベルのビジネススクールでフランスに校舎の一つがありました。その当時、とにかくヨーロッパで住み働きたいと思っていたので働くのに融通がききそうな「MBA」を狙いました。まだ自分が何を仕事にしたいかはっきりとはわかりませんでした。
インシアードは楽しかった反面、私はこんなエリートたちと混じって絶対やっていけないと気づかされました。そもそも育った環境が全く違うのです。初等教育から自分の意見を積極的に言いなさい、としつけられた人たちと、人の話が終わるまで待ちなさいと教えられた日本人とでは圧倒的な差があったのです。生まれ変わらないとビジネスのトップレベルにいくことは不可能なのではないか、とその当時考えました。それでも世界のエリートたちと今でも仲良くできているのは嬉しいことです。