35年間、ラガーフェルドはフランスの偉大なるメゾン、シャネルに欠かすことの出来ない顔であり続けた。2月19日、85歳でその生涯に幕を閉じた彼はクチュール界の「皇帝」と呼ばれたが、その名の通り、巨大な「帝国」を遺したといえる。
ラガーフェルドは1983年にシャネルのヘッドデザイナーに任命されると、わずか10年足らずで、当時経営的に低迷していたこのブランドをファッションシーンの最前線に戻した。このメゾンを、経営面の危機から見事に復活させたのだ。
復活のための施策とは何だったのだろうか。
黄金の施策その1 : 「イネス」抜擢
ラガーフェルドが打った施策。その一つは、シャネルを体現するミューズとして、モデルのイネス・ド・ラ・フレサンジュを選んだことだ。賭けとも言えたこの抜擢は大成功し、イネスはその後、モード史上に残るスーパーモデルとなった。またその後には、ヴァネッサ・パラディらもシャネルの主要商品のイメージモデルに起用した。
黄金の施策その2 : 「グラン・パレ」で生んだ『感動』の伝播
ラガーフェルドは、自身が手がけたコレクションを狭苦しい会場で披露することを好まず、幾度となく、パリ8区にある大規模な展覧会場・美術館、グラン・パレでショーを開催。毎シーズン、極上の舞台を披露した。伝説をその目で確かめたいと押しかける業界関係者と顧客たちには、至福とも言える感動のショーだった。
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黄金の施策その3 : 工房の職人技をアーカイブ
シャネルは、メゾンである以外に、クラフツマンシップのオーナーでもある。ラガーフェルドはコレクションのたび、傘下の工房と実に緻密なコラボレーションを展開したことでも知られている。服を飾る花、カメリアや羽細工のアクセサリーに関して卓越した技術を持つ「メゾン・ルマリエ」、刺繍で有名な「メゾン・ルサージュ」、モデルの頭を飾る帽子とアクセサリーには「メゾン・ミッシェル」など。
こういった工房が持つ高度な技術や職人、伝統の機械などが失われないよう、ラガーフェルドは多額の資金を投じてシャネルで保護をしたのだ。
こうしてシャネルは、類い稀な技術と、質の高い資本を有することになった。