今で言えばフリーター。職を転々としながら売れない絵を描き続けてる石上という男がいた。35歳になり、ある女性と運命的な出会いを果たす。職もない金もない彼だが、悲観のかけらもない圧倒的な楽観性にその女性は惹かれた。出会って1週間後、2人は結婚を決める。そして2人の間に「賢」という男の子が誕生する。
賢は幼少期から2人の愛情を受けて育ち、両親とともに世界中の美術館やギャラリーをまわる中で、「父のような画家に光を当てたい、母にも喜んで欲しい」と思うようになった。
そして、アート業界の現状について知るうちに「アート業界を照らしたい、それこそが自分の人生を懸けた使命である」と考えるようになる。
社会人となった賢は2018年12月、B-OWNDというサービスを立ち上げる。父のような画家に光を当てる、いわば閉ざされたアート業界を照らすためのものを。
ブロックチェーンが作家を救うという仮説を現実に賢が社会人の一歩を踏み出したのは、「空間創造のプロフェッショナル」と謳う丹青社。「こころを動かす空間をつくりあげるために。」というコーポレートステートメントを掲げ、全国の商業施設や文化施設、イベントなどさまざまな空間の、調査・企画、デザイン・設計、制作・施工、運営等を担う創業70年超の歴史ある一部上場企業だ。
そんな同社が2019年4月、ブロックチェーンを活用し、日本のアート・工芸を世界に広めるための新たなプラットフォームをスタートさせる。このチームに石上を招き入れたのが事業開発統括部長の吉田清一郎、日本の文化・芸術の振興や地方創生を目指し、複数の新規事業を進めていた。そのとき石上の出生と情熱を聞き、チームに引き入れた。
吉田と石上を中心としたチームが立ち上げたB-OWND、これはアート・工芸×ブロックチェーンのプラットフォームだ。作家はWEB上に自身の作品を掲載し、その作品に共鳴した買い手はそこで購入できる。言うならば「アート版Amazon」だ。
ポイントは、ブロックチェーンネットワークを活用しているということ。アーティストの各作品に証明書を発行。作品のタイトルやサイズ、制作年度、作者情報、来歴情報などのデータをブロックチェーン上に記録し、他のアート関連サービスや機関と共有可能にする。
これにより、アーティストの作品の来歴を追い続けることができ、二次流通の管理もできるようになる。例えば二次販売、三次販売、四次販売とすべてのタイミングで、取引代金の一部をアーティストに還元することも可能に。その還元金はアーティストの活動資金になり、次のアート作品づくりに繋がるのだ。
「これで世界を変えられる」
そう思った石上は日本に散らばる作家の元を自ら訪問し、サービスに参画してくれる同志を募った。その時、彼の情熱に惹かれ、サービスへの参画を即決したのが岡山の陶芸家、市川透だ。
「何も考えずにアポの依頼を承諾し、何の心づもりもなく会ったんです。そもそも、何の話をされるのかもわかってなかった。ただ会って数分もたたないうちに彼の情熱に非常に共感し、引き込まれた記憶があります」(市川)
アート業界の未来予想図ならぬ、“石上論”を熱心に市川に説いていく。「これからの時代はAIの発達もあって感性の時代が進む。分断された国籍や人種は本来、一つのもの。それはアートで超えられる」
理想だけではなく、アーティストがどうお金を稼いでいくのかといった現実的な課題感でも盛り上がった。初対面にも関わらず、まるで社会に出る前に若者2人が酒を酌み交わし、夜通し夢や野望について熱く語り合うような、そんな盛り上がりをみせた。
作家の生活に馴染みがある人は決して多くはない。あまり興味が湧かないものかもしれないが、ただ一つだけ覚えておいてほしい。現状、作家と消費者のタッチポイント、つまり販路の中心を百貨店としている作家が多いのだ。しかも、作品の輸送費はすべて作家持ち、費用が先に出て行く。今後、百貨店に身を委ねるのは正直、怖さもある。
「じゃあWEBを使えばいい」と思われる方がほとんどだろうが、彼らはいわば職人、いきなりマーケティングやプロモーションをやれというのは酷だ。バブル以前以後、ネット以前以後の劇的な変化も関係してか、1979年には28.8万人を数えた伝統工芸の従業者は、2015年には6.5万人と激減。工芸に携わる次世代⼈材の育成や活動基盤の確⽴が喫緊の課題のひとつなのだ。
だったら、我々がそのマーケット機能、販売機能をつくろう。アート・⼯芸作品の価値をより⾼め、作品の販売・流通経路をつくろう。作家に会うたび、画家の家庭に生を享けた石上の血は静かにたぎり続けているのだ。
35歳で初めて土に触れ、僅か10年でブランドを築く遅くなったが、改めて作家・市川透について紹介しよう。彼は少々長めの“不良時代”を経て、作家になった。もともと芸術に興味はなく、初めて土に触れたのが35歳。極めて遅咲きである。
彼の人生を変えたのは、近所の教室での陶芸体験だった。
「土を触った瞬間、土の呼吸を感じたんです。生き物を触ってるような感覚で、色んな形に自分でしていくうちに、命の形が変わっていくような。衝撃でした。これを仕事にしよう、本気でやろうと心に決めて、すぐに家族に話しました」(市川)
伝統工芸の担い手が減少している現代、市川のような人間が声をあげることはポジティブなニュースではあるが、残念ながら誰も生活の保障はしてくれない。
それでも市川は妻を必死に説得して、隠崎隆一(かくれざきりゅういち)という備前焼で著名な作家の門を叩いた。ただ、「弟子にしてくれ」と訪ね、すぐに門下生となれるような簡単な世界ではない。何度も自宅に通い、敷地の掃除を無償ではじめた。そこから1年6ヶ月という歳月が流れ、隠崎の弟子が一人卒業。ようやく市川は弟子入りが許された。
作家、市川透の時間が動きはじめた、そこからはあっという間だった。短くて5年、最長10年と言われる修業期間を市川は約3年で突破。2015年に独立を果たし、16年の1月に初個展を開催。そこから破竹の勢いでファンを増やし、開催される個展は常に盛況、Facebookのファンページも僅か3年で6000名を超えた。市川透の魅力について、石上賢は独特な表現でこう述べてくれた。
「命の叫びというか、市川さんが歩んだ人生における濃淡、そして感情がすべて作品の中にエネルギーとして注ぎ込まれている。特に青年期の後悔と作家をして踏み出してからの感謝の姿勢、それが作品に出ているかのようで」(石上)
ありがとう。暗闇の中にいるときこそ光の豊かさが分かる。闇も光もすべてひとつなんだよね、市川が呟く。彼の作品が人の心を揺さぶる理由が少しだけわかった気がした。
世界を変えられる人々と、本気で世界を変えにいく顕在化しているだけで約6000人というファンを持つ市川透。ただ、冷静に考えて欲しい。少ない。日本にはまだ1億2800万人の潜在層がいるのだ。いやいや、アートは言語を超えるもの。世界基準で考えれば、70億という潜在層が存在する。
ただ、百貨店だけで世界中のファンとなり得る人々と出会うことには限界がある。そんな時、アート・⼯芸作品を世界に向けて販売・ 流通が可能なB-OWNDは重要なハブになりえる。
「ありがたいことに素晴らしい才能を持った作家の皆さんに、続々と集結いただけています。ここからが我々の腕の見せ所。僕の中で、もう市川さんのような作家の名を世界に轟かせるシミュレーションは出来ています。作品だけにフォーカスするのではなく、作家の持つストーリーにも光を当てていくのです。
アートに関する解説は詳しくなればなるほど難解なものになりやすく、一部の人にしか伝わらずに敬遠されることもある。じゃあ、誰もが興味を持つものとは何かと考えると作家の人生なのではないかと。ストーリーこそが共通言語、共通のテーマとなり得ると。僕が市川さんの人生を知って、作品に心酔したような、そんな体験を最大化できれば、自ずと作家の皆さんのファンは増えていくでしょう」(石上)
ストーリーが人を惹きつけ、ストーリーが人と人を結ぶ。
B-OWNDのストーリーは、まだ始まったばかりだ。石上、そして吉田を含むチームの純粋無垢な創作への愛から生まれたB-OWNDは、日本のアート・工芸を世界に広めるためのプラットフォームとして、世界中の人々を巻き込みはじめている。