モバイルゲーム事業でヒット作を連発し、創業からわずか6年で株式上場を果たしたアカツキの会議室で、「サッカークラブへの経営参画」の議論がスタートしていた。
「参入後の事業モデルをどうするか」「どこに本拠地を置くチームが適切か」「将来的にスタジアムも作るべきか」など、議論に合わせて調査部隊も発足、プロジェクトは進められていった。
ここで一つ疑問が浮かんだ。なぜ、ゲームを主軸とするアカツキがサッカー事業なのか。認知度の向上だけならば、スポンサーでも十分である。率直に同社CEOの塩田元規氏にぶつけた。
「僕らは自分たちをゲーム会社とは定義していなくて、ワクワクするような体験を作り、それをユーザーに届けることをアカツキの提供価値と考えています。つまり、体験に関わる全てのモノ・コトが私たちの事業となり得るわけです。上場まではゲーム事業にあらゆる資産を投下していたのですが、資金的にも余裕が生まれ、次のフェーズに行けるように。ちょうどそのタイミングで執行役員の梅本が『塩田さん、サッカーチームの運営やりましょう!』と声をあげてくれたのです」(塩田)
アカツキ代表取締役CEO 塩田元規
ヴェルディユースに落ちた青年、20年ぶりのクラブハウスは「交渉の場」
2017年10月、神奈川県川崎市多摩区。
梅本大介はヴェルディのクラブハウスを訪れていた。彼の人生で2度目。1度目は高校生時代、ヴェルディユースのセレクションを受験していたのだ。
1993年のJリーグ開幕から、日本のサッカーシーンを彩ってきた東京ヴェルディ。その歴史を残したクラブハウスの奥へと通された梅本は、社長の羽生英之と初めての対面を果たす。
梅本にとって、どのクラブよりも思い入れが強いヴェルディ。アカツキという会社の紹介からはじまり、自社のビジョンや経営方針、梅本の経歴、そしてサッカー事業への本気度をプレゼン。単なるスポンサーとしてではなく、「株式保有」「人材支援」も含めた経営への参画の意向を伝えた。
「ヴェルディのユースは落ちましたが、プロの道は諦められなかった。だから高校卒業後、単身ドイツに渡り、現地のクラブチームに活躍の場を求めました。とはいえユースを落ちた人間が簡単にプロになれるわけでもない。
1年で帰国し、日本の大学に入学しました。大学3年の夏、就職活動の時期になって将来何になりたいか改めて考えると、選手にはなれなくても経営者にはなれるのではないか。将来はJリーグのチーム経営者として日本のサッカーを強くしたい、サッカーを通じて日本をもっと元気にしたい、そういうことを考えるようになりました。
そこから僕の夢はサッカークラブの経営者。この夢はずっと変わることはありません。ソニー、DeNA、アカツキと歩んできましたが全てはサッカーのためだったのです」(梅本)
執行役員 経営企画部部長兼事業開発部部長 梅本大介
サッカーに関わること、日本をサッカーを強くすることに命を燃やす梅本のプレゼンは、羽生氏の心を揺さぶった。とはいえヴェルディ側にとっては青天の霹靂。いきなり経営に参画となると大幅な調整が発生するため、まずはスポンサーでの参画ということが後日決定した。