プリンアラモードはメインがプリンでありながらも、いろんな具材が入り混じりあわさることで、より全体のおいしさが引き立ちます。現代のマーケティングにおいて、マジョリティにざっくり合わせて、そこからはみ出る誰かは我慢すればよいというのは古い考え方。
プリンアラモードのように、個別の多様性を妥協せずにインクルージョンすることが、結果として大衆のファンをつかみ、ヒットすることがあります。ポイントは、メインのプリンを際立たせながら幅広い人たちで共有できて、みんなのものでありながらも丸まらずにとがっていることです。
インターネットとSNSは、誰にとっても身近な存在となり、物やサービスの選択肢は大幅に増えました。それに伴い、消費者の意思決定プロセスは、「これでいい」から「これがいい」へと変化し、より妥協しない傾向が強くなってきています。
そんな時代では、人を特定の属性でひとくくりにして、共通性に着目することで効率的に市場を攻略しようとする従来のマーケティング手法には限界があります。企業のマーケティング活動も、より進化が求められているのです。多様な従業員を採用することや、ひとりひとりのお客様に合った対応が注目されはじめる一方で、いまだ多様性は一部のマイノリティの話で、ビジネスとは無縁と感じている人が多くいます。
こうした誤解を生む1つの要因が、「バリアフリー」というデザインモデルに見られる「個別対応思考」に起因するのではないかと私は考えています。「個別対応思考」のマーケティングは、障害者や高齢者など、問題を抱えた一部のマイノリティにしか使われないニッチで特異なものを生みます。それらは量産化できず、価格が高騰し、希少になり、手に入りにくくなり、開発も進まない、などの不便が生じていたのです。
さらに、そのニッチで特異なプロダクトは、当事者自身にとっても味気ないもので、それしかないため仕方なく使うものということも少なくありませんでした。最低限使えればよし、とされる「個別対応思考」では、当事者の2つのニーズ「CAN(使える)とWANT(使いたい)」のCANしか満たしておらず、両方を満たすものに昇華していなくてもそれでよしとされていたのです。
一方で、全ての企業活動の最上位概念は利益を増やすこと。そして、利益が増えるほど社会に対するインパクトも増え、企業の存在意義は高まります。「個別対応思考」のマーケティングは、利益を最大化するには非効率であり、「マス思考」のマーケティングは限界を迎えています。