那覇市内で台湾進学コースを開設した中国語教室「チャイニーズスクール沖縄」によると、18年に入り、学年トップレベルの高校生らが「語学に加え技術や専門性も身に付けたい」と台湾進学を目指すケースも出てきたそうだ。
実際に台湾進学した人の思いを知りたい──。12月、親戚の結婚式に合わせて一時帰省中の22歳の大学生が那覇市内でインタビューに応じてくれた。彼女の名前は新垣沙也加(あらかき・さやか)さん。台北市の国立台湾師範大学で経営学を学んでいる。
大学3年生の沙也加さんは今、沖縄県出身の友人らとインスタグラムで「美らすい(ちゅらすい、@taiwan_net)」というアカウントを運営し、両地域をつなぐ取り組みにも挑戦中だ。台湾進学を決めた事情や、力を入れている活動について話を聞いてみた。
県費留学、第一志望はカナダだったのに……。
──自己紹介をお願いします。
沖縄県浦添市生まれです。那覇市と浦添市で小学校に通いました。高校は那覇国際高校に入りました。
高2で県費留学の試験に受かり、高3時の14年9月から約10カ月間を中国で過ごしました。咸陽と上海で留学生活をして帰国後、ひとつ下の学年と一緒に高校を卒業しました。
(新垣沙也加さん=2018年12月、那覇市)
──大学進学で台湾に行く前、高校で中国へ。なぜ?
カナダ留学がとてもいいという話を先輩から聞き、県費留学に興味持って受けたのがきっかけです。もともと英語に興味があり、カナダかアメリカに留学したくて...。
県の留学システムでは当時派遣先が19カ国ありました。英語の試験を受け、受かれば次は親子面接。私の第1志望はカナダ。次いでアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ諸国を並べ、第8希望くらいに中国を入れていました。
面接時に何を言ったかあまり覚えてませんが、面接後、結果を見ると派遣国が中国になっていました(笑)。
──カナダを希望して決まったのは中国留学。どんな気持ちでしたか
嫌すぎて、泣きました。アメリカに決まった生徒らがよろこんでいる横で私だけ号泣していました。中国はもともと興味がなく、人生で一度でも行くとは思ってなかったです。
派遣先の知らせを受けて教室に戻ると、たまたま中国に批判的な授業だったんです。『中国はダメだ』という内容を聞きながら『やばい、来年から行くんだ…』と感じていました。
家族は、英語圏に行くと思っていたので応援してくれていました。中国に決まった瞬間、親は反対でした。祖母も『行かないで』と言っていました。私も家族も中華圏に縁がありませんでした。祖父母は米軍基地で勤めていたこともあり、どちらかといえば英語をやってほしいという思いが強く…。
──反日デモで治安に不安が残る中、両親は最終的に背中を押してくれたのでしょうか?
12~13年は反日デモが激しくて。でも、出発の直前には心配は期待に変わっていました。『これからは中国語が大事』という時期でもありました。
自分で中国語教室を見つけて通いはじめたり、家でCDを流してお母さんと一緒に勉強したりして、娘が少しずつ中国語が上達する姿をお父さんも見ていました。私も『中国語が話せたら将来こういうことできるかもね』と話したりしました。私がやる気を見せたのが大きかったと思います。父は応援する形に変わっていきました。