残業は当たり前、副業はもってのほか。何か別のことに挑戦したければ退職しかない。そのため、多くの人が安定的な収入を維持したまま何か別のことをやるには「会社にバレない程度の趣味レベル」で取り組むしかない。それが「安定の代償」と言い聞かせ、働きながら夢を本気で追うことを諦める──。
そんな中、ケイト・スペード ジャパンの穐山茉由PRマネージャーが脚本・監督を務めた映画『月極オトコトモダチ』が東京国際映画祭に出品するという、ファッション業界人にとって異例の快挙を果たした。
彼女は、外資系企業でPRマネージャーという重要なポストを担う人物。どのようにして会社理解を得て、どういう働き方と考え方で実現できたか? 兼業する上での働き方について話を聞いた。
インタビューは神宮前にあるケイト・スペード ジャパン社で実施。(著者撮影)
1982年生まれ、東京都出身。大妻女子大学の服飾科を卒業後、OEMメーカーに就職するが「ブラック企業だった」ということで半年で退社を決意し、ケイト・スペード ジャパンの前身の親会社であるサンエーインターナショナルに入社(当時22歳)。その後、「ケイト・スペード ニューヨーク」でPRアシスタントとして仕事をしていた。
昔から「物作り願望」があった彼女は、これまでも仕事の合間に音楽や写真などにチャレンジしてきたが、井口奈己監督の作品『人のセックスを笑うな』を観て、「自分が想像する世界を映画で表現してみたい」と夢見るようになった。
「井口奈己監督作品が自分の好きなテイストで、また日本人の女性監督ということで尊敬の思いと同時に『やられた!』という悔しい感情が湧き上がってきた」
吹っ切って、映画を作ろう─
そして、30歳(2013年)の時に転機が訪れた。婚約破棄。寿退社を予定していたが破談になってしまった。
「婚約破棄までは、女性と言うこともあり『結婚をしなければいけない』という固定概念に縛られていました。破談になったことで『結婚しなくていいんだ』と思えたことで気持ちがスッキリしました」
だが、この経験があったからこそ、彼女は「吹っ切って、映画を作ろう」と決心する。その勢いで、専門的なことを学ばずに自主映画を作ったが、「どうしていいかわからず、納得いくものが作れなかった」ため、30歳の時に映画美学校のフィクションコースに夜間と土日を使って通い始めた。
「この時、社長からは『自分の時間の中で、好きなことを形にしていること、クリエイティブであることはブランドらしさでもあるから』と応援してもらえました」
約3年間通った映画美学校では、授業などで5本程度の短編映画を制作した。その間、2014年にPRマネージャーに昇進するなど、仕事も順調にこなした。そして昨年、修了制作『ギャルソンヌ -2つの性を持つ女-』が若手の登竜門と呼ばれている田辺・弁慶映画祭に入選。
「名前が世に出るので、改めて社長に伝えました。ただ社長と社員の距離が近いので、改まって報告と言うより、ニュースという感じで伝えました。映画業界では有名ですが、一般的にはまだ知られていない映画祭なので、結果が出ておめでとう的なリアクションでした」
この入選をきっかけに、今度は音楽×映画の祭典「ムージック・ラボ(MOOSIC LAB) 」からも声がかかり、昨年末、2018年11月公開を目指して『月極オトコトモダチ』のプロット作りに着手。「会社には『初めて長編映画を撮ります』とだけ先に報告しましたが、あまりピンときていなかったと思います(笑)」