PRマネージャーと映画監督 異色の兼業はなぜ実現できたのか?

ケイト・スペード ジャパンPRマネージャー 穐山茉由


年が明けてプロットが完成し、4月には脚本の第1稿が上がった。この間、ブランド初のスマートウォッチの発売記念パーティーなどのイベントもこなしていた。

その後はキャスティングや撮影に向けて準備を行い、6月中旬に夏休みの前倒しや土日を使って9日間で撮影することを決定した。「社員は海外旅行で1週間丸っと休む人も多いので、休む量としては特別な感じではなかったです。周りにも『いよいよ撮影だね、頑張ってね』と言ってもらっていました」

しかし、クランクイン4日前の6月5日、予期せぬ事態が発生した。

ブランド創業者のケイト・スペードの訃報──。

ケイト・スペードは2007年にブランドを退き、直接関わりがなかったものの、事実確認などの問い合わせ電話が鳴り止まなかった。その2日後の6月7日には、「ケイト・スペード ニューヨーク」2018年秋コレクションのプレゼンテーションが控えていた。ただでさえ、その準備に追われている中、訃報が重なったことで「撮影できるか不安になるほど追われる日々」を過ごした。

それでも周りのサポートを受けながら、撮影は無事終了。約9カ月で78分の作品『月極オトコトモダチ』を完成させた。


『月極オトコトモダチ』のポスター(左)「ムージック・ラボ 2018」は全21組のミュージシャン×映画監督が集結(提供:MOOSIC LAB)

「上司が一番の理解者でもあったので、色々と助けてもらえました。昔、その上司が子どもを生む際、私が仕事をフォローしたことにずっと感謝の気持ちを持っていてくれたので、『映画があなたにとって子どものような存在なら遠慮せずにやってほしい』と嫌な顔せずに私の働き方を理解してくれました」

時は流れ9月、一本の連絡が入る。

「記念受験のような気持ちで応募した」という、第31回東京国際映画祭(TIFF)の正式出品の決定連絡だった。

選出されたコンペティションは日本映画スプラッシュ部門。日本のインディペンデント映画の中から、独創性とチャレンジ精神に溢れる作品を監督のキャリアを問わず毎年紹介している。今年は9作品の一つとして選ばれた。

「TIFFへの応募は会社に報告しておらず、一般情報解禁の2週間前だったので『急いで会社に報告しないと!』と言う感じでした。この時は一番お世話になった上司に真っ先に報告しました。上司が“社内インフルエンサー”だったこともあり、良い感じに情報が社内で広まっていきました。この時はさすがに今までの『すごいね!』とは違う感じでした」

決定報告を受けたタイミングは、「ケイト・スペード ニューヨーク」がNYで新デザイナーの最初のプレゼンテーションだったため、日本チームも現地に行くなど慌ただしい時期だった。
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文=砂押貴久

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