ビジネス

2018.11.15

「ゼロイチ」時代 破壊的イノベーション競争は始まっている

クオンタムリープ代表取締役 出井伸之氏

この連載企画「The IDEI Dictionary」が持ち上がったのは、およそ1年半前。A to Zでワードを選び語っていくスタイルで、昨年の秋に「Aging Society」からスタートし、毎回楽しく書いてきた。

2010年にノーベル化学賞を受賞した根岸英一先生のことに触れた「Cross-Coupling」、フランスの男性を魅了した彼女の半生が映画にもなった歌姫「Dalida」、食べることが好きな私の食コミュニケーション「Gourmet」、日本の教育に疑問を投げかけ私の越境人生について書いた「Risu-kei(理数系)」、ワインにまつわる思い出を詰めた「Wine」など、それぞれに生きるヒントを綴ってきた。

いよいよ、今回で26回目、最終回となる。1年以上続けてきただけに、終わってしまうのはホッとする反面、なんとも寂しい気持ちもある。

気持ちをポジティブに変えたZ

さて最終回。しかし本題に入る前に少し小話を挟みたい。1972年、パリ駐在から帰国した30代半ばの私が買った車、日産「フェアレディZ」についてだ。

そもそも私が帰国することになった理由は、日本の本社と意見が合わなくなったからだ。進めていたソニー・フランスの設立前に戻ることになった。「そんなことに負けてたまるか!」という思いから、私はグリーンのZを購入。当時の職場、横浜の流通センターまで、毎日派手にクルマ通勤した。そして、お昼休憩になると、同僚を入れ替わりに助手席に乗せてランチに出かけた。

欧州の生活では冷房が不要だったので、その習慣のままZにもクーラーをつけなかったら、日本の夏の運転は暑くて大変だった。そんな笑い話もあった。

日本は「10→100」と言われる危機感

では本題、Zといえば「ZERO(ゼロ)」だ。私は、生まれ育った時代背景から、零戦(通称ゼロセン)、そして『永遠の0』(百田尚樹著)などを思い浮かべる。

「0(ゼロ)」の発見は革命だった。何もない「無」の状態を意味する「記号としての0」が最初に使用されたのは紀元前、「数としての0」の概念が確立されたのは5世紀ごろ、そして7世紀にはインドの数学者・天文学者であるブラーマグプタが自身の書物において定義している。西洋では、宇宙観やキリスト教の影響で「無」と「無限」が認められず、17世紀まで「0」の概念は受容されなかった。

今、私たちが当たり前のように使用している0は、時代や状況によってその意味や使われ方など様々だが、ビジネス界においての「0」といえば、0→1だ。何もないところから全く新しいビジネスを生み出し、イノベーション起こすことを数字で表している。

日本は、1→100が得意と言われている。つまり、0から何かを創り出すよりも、在るものを改善改良するのがうまいのだ。であれば、0→1を生み出すスタートアップ大国イスラエルと、1→100が得意な日本が組めば上手くいくのではないかとも思った。

しかし、実際イスラエルを訪れてみると、0どころかマイナスからビジネスを立ち上げているような印象を受けた。さらには、「日本はでき上がったルールの上でしか動かない10→100のような国だ」という声も聞き、慎重すぎて決断が遅い日本とイスラエルとは、スピードも感覚も合わないだろうという印象を持った。
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インタビュー=谷本有香 構成=細田知美 写真=小田駿一 取材協力=Quantum Leaps Corporation 撮影協力=Union Square Tokyo

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