もとより、この采配については、海外メディアからは辛辣な批判が投げかけられ、国内の多くのサッカーファンの間でも、賛否の議論が渦巻いたが、いずれ、その批判も非難も覚悟のうえで勝負に徹した西野監督の姿は、文字通り「智将」と呼ぶにふさわしいものであった。
しかし、その智将の采配も、決勝トーナメントの初戦、ベルギーとの戦いにおいては、2点を先行しながらも、一気に追いつかれ、さらに後半のアディショナル・タイムに、不運とも呼ぶべき決勝ゴールを許してしまい、目と鼻の先にあったベスト8を逃す結果となった。
試合終了後、インタビュアーから敗因を問われ、西野監督は、冷静に、しかし、悔しさを滲ませながら、「何かが足りなかった……。何が足りなかったのでしょうかね……」と答えた。
このシーンを見ながら、筆者は、8年前のワールドカップ、南アフリカ大会でチームを率いた、岡田武史監督の言葉を思い出した。
この大会においても、日本代表チームは、見事に1次リーグを突破し、ベスト8を賭けたパラグアイ戦では、死闘の末、延長戦でも勝敗がつかず、最後のPK戦にもつれ込んだ。
しかし、このときもまた、日本側のキッカー駒野友一がゴールを外すという不運な結末に終わり、目前にあったベスト8を逃すこととなった。
後日、あるインタビューで敗因を聞かれた岡田監督は、試合を振り返り、こう答えた。
「私の勝負に対する執念が足りなかった……」
いずれも「不運」と呼ぶべき勝負の結末。その結末に対して語った、この二人のリーダーの二つの言葉。「何が足りなかったのでしょうかね……」という言葉と、「私の勝負に対する執念が足りなかった……」という言葉は、我々に、経営者やリーダーが持つべき究極の力について、考えさせる。
それは、「運気を引き寄せる力」と呼ばれるもの。
もとより、この「運気」とは、現代の最先端科学をもってしても、その存在は証明されていない。しかし、昔から、経営者やリーダーを始め、市井の人々も、誰もが、この「運気」というものの存在を信じてきた。
では、もし、そうしたものが存在するならば、この「運気」を引き寄せる力は、どのようにして身につくものか。
実は、そのことを考えさせられる、岡田武史監督のエピソードがある。
以前、岡田監督がJリーグの監督として戦った、ある試合において、誰の目にも明らかな審判の誤審によって、敗北を喫した。
試合後、記者からのインタビューで、その誤審について聞かれたとき、岡田監督は、感情的になることなく、淡々と、しかし、覚悟を定めた表情で、こう答えた。
「審判も人間であるかぎり、間違いはあります。それも含めて、我々は、勝たなければ駄目なのです」
この岡田監督の言葉を聞くとき、我々は、プロフェッショナルの世界で語られる、一つの言葉を思い起こす。
「運も実力のうち」
そして、その勝負強さと強運で、数々の戦績を残してきた岡田監督の姿を見るとき、一つの真実に気がつく。この言葉を覚悟する人物に、運気は巡ってくる。
「運気を引き寄せる力」とは、究極、その覚悟であろう。
田坂広志の「深き思索、静かな気づき」
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