奥山由之を魅了する、写真が持つ「見せすぎない色気」とは #30UNDER30

写真家 奥山由之


2カ月間、写真が撮れなくなった

──奥山さんは、自分の心が折れてしまったような経験はありますか?

2015年に出版した、4冊目の写真集『BACON ICE CREAM(ベーコン・アイスクリーム)』を作ったあと、一切写真を撮れなくなってしまった時期がありました。

 
『BACON ICE CREAM』

──どうしてですか?

突然、気持ちが塞ぎ込んでしまったんです。少し説明が長くなってしまいますが、僕はいつも写真集や展覧会を「10年後、20年後、もっともっと先の自分のため」に作っているんです。

写真って、撮ってすぐには、そこに写っている「自分」みたいなものはわからないと思っています。

撮った時の温度感や記憶が新鮮なうちは、やっぱり撮影者本人は、写真そのものに写っている要素以外、例えばその場で交わした会話や当日の天候なども含めて見てしまう。けれども時間が経って、忘れていくこともあって、冷静な状態で写真を見返すと、「ああ、こんな自分が写っていたんだ」と、その時気付けなかったことに気付けるんです。

ここで言う「自分」とは肉体そのものではありません。撮った写真に写り込んでいる「自分の考え方」や「環境・人々との関係の築き方」のことです。

そして、撮ったその時に「ん?....んーーー?」みたいに、分からない!と思うことが多ければ多いほど、後々に気づくことが多いと思います。

『BACON ICE CREAM』は、そういう「まだわからない。けれども自分のものであることはわかる」という写真たちを集めた作品集でした。なので、こうだから自分の写真だ、みたいに言語化出来るものは選びませんでした。

「この写真は、自分の写真だとは思える。でもその理由はわからない」という、言語化できない自分の写真をまとめて、それをただ世の中に投げ入れておく。そして数十年後に、拾いにいく。そんな行為を試みたんです。

──写真集、拝見しました。

ありがとうございます。けれど、そこでの僕の計算ミスは、「思っていたよりも多くの人の目に触れた」ということでした。

誰からも期待されていないと思っていたし、自分のためだけに作ったものだったので、作品に対する自分なりの答えを当然用意していなかった。世の中から放っておかれて、床に落ちたままのその作品を、数十年後に自分が拾えばよかっただけなので。

ただ、意外にも多くの方々がすぐに拾ってくださったことで、作品たちに対して様々な言葉が飛び交うようになりました。


『BACON ICE CREAM』

──答えが、勝手に決められてしまった。

はい。自分では答えを用意していなかった作品に対して、「こういうものだ」といきなり決められてしまった感じがして。答えを用意していないからうまく「違う」とも言えなくて……。自分で展覧会を観にいっても、寒気しかしませんでした。

壁に掛けられた写真たちは「これはこういう写真である」という意識にまみれた視線を浴びすぎていて、もう自分が撮ったものに見えなかった。

そういうことがあって、写真が怖くなりました。2ヶ月間家から出なくなって、何もしなくなって、その時はもう全部やめようと思っていました。

──その2カ月間は、何をされていたんですか?

……毎日毎日、家の掃除だけをしていました。部屋中を掃除して、夕方にスーパーに行って、帰ってごはんを作って一人で食べて、寝る。これを2ヶ月間ずっと繰り返してました。

──なんと……。

けれど、スーパーが楽しくて仕方なかったですね。買い物をする事自体が物凄く久しぶりだったので、店内で流れている音楽や、チラシに書かれている言葉など、この数年間で僕が接していたものとは全く違っていて、衝撃を受けました。あまりにも狭い世界で生きていたなあと。

そして、そういった場所にいる人たちにも、自分の作品を届けたいと思った。それは単純に「大衆化していきたい」という話ではなくて。

──なるほど。

けれども、そんな期間を経てこそ作り出せたのが『As the Call, So the Echo』という作品でした。自分にとって最も大切な作品です。


『As the Call, So the Echo』

これは、生まれて、知って、育って、接して、また知って、育って、接して、最後に死ぬ。そんな日常から見い出した、人の第六感的な「なにか」を表現しようとした作品です。

写真展、写真集、映像作品、ステートメントなど、全てを含めて「もうこれ以上の作品は作り出せない」と思うほどに、自分にとって大切な作品が作れたと思っています。
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文=明石悠佳 写真=小田駿一

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