奥山由之を魅了する、写真が持つ「見せすぎない色気」とは #30UNDER30

写真家 奥山由之



いざ作ったら誰かに観て欲しくなって、人目に触れる場所で、作った映像を流したいと思いました。

それで渋谷のスクランブル交差点に、TSUTAYAが入っているQFRONT(キューフロント)というビルがあって、そのビルの大きな屋外モニターに「映像を作ったので流してもらえないですか」とお願いをしに行きました。当時まだ中学生だったこともあり、その会社の方も面白がってくださって、「一週間だけなら」と許可をいただいたんです。

──すごい。それって、なかなか流されるものではないですよね。

そうですね。でも、実際流してもらった映像を観に行った時に、とてつもなく怖くなりました。

──怖くなった?

道を通りゆく人々が、自分のことを何も知らないのに自分が作ったものを目にしているという状態に、異常な違和感があって、ものすごく怖かった。

世の中に打ち出すものとしてはクオリティが足りないということを理解しながら、あれだけ大きな画面で、不特定多数の人の目に入る……。それはまるで、自分の裸を見られているような感覚でした。

一方で、自分が作ったものが、誰かの意識に多少なりとも入り込んでいくという、人に観てもらうことの面白さも、その時に初めて感じました。そこから映像作りにどんどんのめり込んでいって、高校時代は友達と実写の映画を作っていました。
 
写真との出会い

──写真を撮り始めたのは、いつからだったんでしょうか。

頻繁に撮るようになったのは大学生の時です。僕は中高ではアニメーションや映画を作っていて、今思えばとても内向的でした。

ずっと男子校でしたし、兄妹以外の近しい年代の女性とは全く会話をしたことがなかった。だから大学に入学して、女性がキャンパスを歩いているという状況は、カルチャーショックというか……僕にとってはとんでもない変況だったんです。

いま思えば、思春期に本来感じていなくてはならなかった感情を、知らないうちに自分で押さえつけて生きていたのだと思います。そうしたら、女性から言葉を投げかけられるだけで拒絶反応というか、「無理だ」と思ってしまって。

──それで写真部に入られたんですか?

それもありますね。 最も内向的な人たちがいる場所に行こうと思ってカメラサークルをのぞいたら、僕みたいな人がたくさんいて。「ここだったら友達をつくれそう」と思って入りました。

そうしたら、そこにいた同級生のある女の子に想いを寄せるようになって。ただ、いかんせん話し方が分からない。それまでの学生生活では感じてこなかった感情を、どう言葉にして良いのか分からず、感情だけが体内に溜まっていく感覚と言いますか、徐々に、気持ちがより内向きになっていってしまって。人との会話に苦手意識を持つようになりました。

そんな時に、震災があったんです。

──2011年の、東日本大震災ですね。

その時、「人は突然命を落としてしまうことがある」という事を知りました。この肉体はいつか滅びる。だから僕が生きた証を、肉体ではなくて、何かしらの「モノ」として残しておきたいと思いました。

それで、大学生になってから感じた、どうにも言葉に変換できない自分のこの感情、胸のあたりで日々溜まっていって、でも外に出て行かない、そんな気持ち悪いこのモヤモヤとした感情を具現化したい──そう思って作ったのが、最初の『Girl』という作品です。

その同級生の友人に対する自分の感情を写真に落とし込むことで、自分が生きた証を残そうと思ったんです。


『Girl』

──その作品を、『写真新世紀』というコンペティションに応募されたんですよね。

そうです。たまたまその時が『写真新世紀』の応募のタイミングだっていう事に気が付いて。

当時は、撮った写真を見せられる友達もいなかったので、誰かに、この気持ちを分かってほしいなと思って、ある種すがりつくようにして応募してみたところ、HIROMIX(ヒロミックス)さんが選んでくださったんです。

──受賞された時はどんな気分でしたか。

何賞だとか、そういう内容はどうでもよくて、とにかく、誰か一人でも「わかるよ」と言ってくれたということが、物凄く嬉しかったです。救われた気持ちでした。

その時に、僕にとっての「写真」の立ち位置が完全に決まりました。
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文=明石悠佳 写真=小田駿一

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