レバノン映画「判決、ふたつの希望」、法廷劇の陰に母の存在

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首都ベイルートの住宅街で些細な諍いが起きる──。

パレスチナ人の現場監督ヤーセルが、アパートの補修工事を行っていたところ、そこに住むレバノン人のトニーが憤激、取り付けたばかりの排水管を破壊してしまう。その暴挙に怒ったヤーセルは、トニーに対して「クズ野郎」という言葉を吐き捨て、工事現場から立ち去る。

かねてからパレスチナ人に反感を抱いていたトニーは、ヤーセルのついた悪態が許せない。工事会社に乗り込み、ヤーセルの上司に猛抗議する。上司の説得を受け、ヤーセルはトニーが経営する自動車修理工場へ謝罪に出かけるが、敵意むき出しのトニーから、パレスチナ人としては最大の侮辱となる決定的な言葉を投げつけられる。激昂したヤーセルは、トニーの腹部に強烈な拳を見舞ってしまうのだった。

「最初から法廷劇をつくりたかった」

レバノン映画としては、初めてアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされた「判決、ふたつの希望」は、この後、スリリングな法廷劇へと舞台を移す。裁判で争われることになったふたりの諍いは、互いの弁護士や傍聴人なども巻き込みながら、メディアの注目を集めることとなり、大きな政治問題へと発展していく。

次第にエスカレートしていく法廷劇の展開が見事だ。上映時間の約40%が法廷でのシーンなのだが、裁判が進むにしたがって、レバノンという国が持つ悲劇の歴史や、ヤーセルとトニーの歩んできた人生も徐々に明かされていき、目が離せない展開となっていく。このあたりの波乱に満ちたドラマが、いつのまにか心を鷲掴みにしていく。

「最初から法廷劇をつくりたいと考えていた。法廷劇の良い点は、対立する両者を同じ空間に押し込めることができるということ。ドラマも密度の濃いものになる。脚本は筆が進んで、最初、法廷の場面を13も書いてしまったが、結局は9つに絞った。場面が新しくなるたびに、ストーリーが進むように、キャラクターもさらに深まるように、確認しながらつくっていった」

こう語るジアド・ドゥエイリ監督は、1963年ベイルート生まれ。20歳のときに映画づくりを志して米サンディエゴ州立大学に留学。映画の学位を取得後はロサンゼルスで、クエンティン・タランティーノ監督のもとでカメラアシスタントなどを務めた。


ジアド・ドゥエイリ監督

「長年ロサンゼルスで仕事をしているが、アメリカは法廷劇というジャンルを確立した国。今回の作品も、シドニー・ルメット監督の『評決』とスタンリー・クレイマー監督の『ニュールンベルグ裁判』から大きな影響を受けている」

しかし、それ以上に影響を受けているのは、どうやらドゥエイリ監督の母親の存在だ。今年で80歳になるという彼の母親は、いまもレバノンで現役の弁護士を続けており、母方の親族には、最高裁判所の判事を務めた叔父をはじめ、法曹界で活躍している人間が多い。今回の作品でも、母には法律的アドバイスを求めたという。
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文=稲垣伸寿

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