電気系エンジニアからコンピュータ・プログラマーに転身した両親のもとに生まれたベルディチェフスキーは、2001年にスタンフォード大学に入学し、機械工学を専攻した。いわく、「両親は2人とも、僕にコンピュータ科学を専攻して欲しいと思っていたので、それだけは専攻したくなかった」からだという。
スタンフォードではエーリク・ハンツー(現在はシラの機器エンジニアリング担当バイスプレジデント)に出会い、一緒に2人乗りのソーラーカーを製作した。このソーラーカーは10日間のレースに出場し、シカゴからロサンゼルスまで走ったという。ベルディチェフスキーが設計と製作を手伝った電池がなければ、この旅にはもっと長い日数がかかっていただろう。その後、2004年にスタンフォードを中退すると、テスラの7人目の社員となった。
そして、テスラ・ロードスターに搭載するために様々なリチウムイオン電池を試していくなかで、電池の性能の向上ペースが鈍化し始めたことに気付いたという。電池業界にはブレイクスルーが必要だった。
そこで彼はスタンフォードに戻り、2010年に工学修士号を取得。主な研究分野は材料科学だ。その後は、サッター・ヒル・ベンチャーズの客員起業家となり、どうすればより優れた電池を作れるのかだけでなく、どうすればより優れた電池メーカーをつくれるのかも考えるようになった。「電池そのものを作るではなく、その部品を作ることが効率的な解決策かもしれない」と。
サッター・ヒル時代、ベルディチェフスキーは数多くの技術を調査したが、彼の目を引いたのは、ロシアから移住し、ジョージア工科大学でナノテクノロジーの研究室を持っていたグレブ・ユーシンのものだった。そこにアレックス・ジェイコブス(現在は同社のエンジニアリング担当バイスプレジデント)が加わり、3人はジョージア工科大学の支援を受け、アトランタでシラ・ナノテクノロジーズを立ち上げた。
シラは現在、製品の生産に移る段階に来ている。新しい製品ラインのための複数の反応設備を建設している真っ最中で、完成すれば600万アンペアアワー相当の電池に対応できる量の粉末を毎年生産できる予定だ。携帯電話の充電池で言えば230万個分に相当する“魔法の黒い粉”だ。
シラがエネルギー性能の40%向上という約束を実現できれば、この粉末を使用した電池は、現在は10ワットアワーのエネルギーが収まっている容器に14ワットアワー分のエネルギーを詰め込めることになる。だが、ベルディチェフスキーは、こう白状する。「エンジニアリングと実行の部分で、とにかくまだやらなければならない仕事が山積みです」
目下の市場は、ウェアラブル機器や携帯電話に搭載されている電池だ。そこで得る知見と収益を活用し、はるかにうまみの大きい車載電池市場に進出するつもりだという。
「“ドロップイン式”で生産できる性質の製品であるということは、10億ドルの“ギガファクトリー”のような巨大工場を建設せずにすむということです」と、ベルディチェフスキーはテスラや一部の中国企業が展開している野心的な生産能力の拡張に言及する。
「どうせ彼らにも、うちの製品を使ってもらうことは可能なわけですしね」