たまたま巡り合った一冊の本が、人生を変えることもある。そんな実感が、あるときひとつの形になった。
2010年6月、大阪・心斎橋に「人生図書館」がオープンした。場所はアメリカ村のオフィスビル4階で、15畳の和室を取り囲む本棚には、小学生から会社社長までさまざまな人から寄贈された「人生の大切な一冊」が並んでいる。仕事の傍ら、この図書館を館長として運営しているのは、女性会社員の田中希代子さんだ。
賃貸ビル管理部門に勤める彼女は、当時、自身が管理する賃貸ビルの中の空き室を「本を通じたコミュニケーションスペースにできないか」と社に打診、地域貢献に関心のある社長が快諾してくれたという。
その計画を具体化するにあたり、田中さんは僕に個人でコンセプトづくりを依頼してきた。きっかけは、09年のクリスマスイブに読んだ『まってる。』という絵本。ひとりの男の子の成長と人生の悲喜こもごもを綴ったフランスの絵本『MOI, J’ATTENDS…』を、僕が06年に邦訳したものだ(連載28回に詳しい)。
田中さんご自身、10歳のときに2歳の弟さんを交通事故で亡くされ、「この絵本に勇気づけられた」とのこと。僕は基本的に個人の依頼は受けないので丁重にお断りしたのだが、1カ月にわたる手紙やメールに綴られた想いの強さと、自らのポケットマネー300万円を費用に充てるという情熱にほだされ、依頼を引き受けることにした。
それで考えたコンセプトが「人生図書館」である。置いてある本はすべて誰かが「人生の一冊」として大切に読んできた本であり、その人が「人生のどんなときに、どのようにその本に支えてもらったのか」というメッセージが添えられている。例えば小学1年女児寄贈の、なんでも許してしまうおじいさんが描かれた絵本『いいから いいから』(長谷川義史・作)には、「お友達にやさしくできるようになった」という素敵なメッセージが記されている。
田中さんはこの図書館を「本を介して人が交流する『間』であり、人が繋がる『環』」が生まれる場所」と紹介しているが、心のオアシス、拠り所になればという想いが僕自身にもあった。8年経ったいまもなお本が寄贈され、日々訪れる人がやまないということは、この場所を必要とする人たち──失恋や失職、闘病や身内の死など哀しみや悩みを抱えた人たちが小休止できる場として機能しているということなのだろう。
職住一体という生き方
ちなみに僕が人生の一冊として寄贈したのは、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』だ。羊飼いの少年が夢で見た宝物を探す旅に出るという物語に、いろいろな人生訓がさらりと組み込まれている名著で、海外に行くときは必ず持参して読み返している。そのパウロ・コエーリョのプロフィールには「世界中を旅しながら執筆活動を続ける」とあるのだが、先日それに似た生活をしている若者に出会った。
東京・神谷町にある紹介制レストラン「SUGALABO」では、月に3日間、スタッフ全員で地方を巡り、良い食材を発掘して新しいメニューを考案している。その美味探訪の旅に同行しているカメラマンは、なんとキャンピングカー暮らしだという。撮影機材を積んだ車で全国を駆け巡る彼にとって、生活と仕事は分け隔てがない。いわば、撮影が人生であり、人生が撮影。そんな生き方がとても羨ましく見える。
そこまで住居と仕事場が一緒くたというのは極端な例かもしれないが、考えてみれば「職住一体」は原始時代から近代までは普通のことだった。例えば農民は土間で仕事をし、農作業をする馬や牛も敷地内の家畜小屋で飼っていた。商人も住居の路地側で商いを行い、奥側で暮らしを営んできた。仕事とプライベートを分けるというのは、かなり近代的な生き方と言えよう。