江戸時代後期に書かれた『仙境異聞』(1822年・文政5年)という本が話題になっている。しかもそのきっかけは、「『江戸時代に天狗に攫(さら)われて帰ってきた子供のしゃべったことをまとめた記録』がめちゃ面白い」というTwitter上のつぶやきなのだ。
国学者の平田篤胤(あつたね)がまとめたこの書物は、同じ著者の『勝五郎再生記聞』と併せて岩波文庫に入っている。しかし、ツイッターで大反響を巻き起こしていたとき、この文庫本は品切れ中だった。そこで刊行元の岩波書店は、帯を一新して緊急重版。そのキャッチコピーは、「Twitterで話題沸騰!! 天狗にさらわれた子どもの証言!?」という、老舗出版社としては異例のものだったのだ。
売れ行きの方も好調のようだが、異界探訪談の古典として、民俗学の視点からも刺激的な本ではある。SNSが話題の発端になったというだけでなく、内容そのものに、現代のヴァーチャル・リアリティ(VR)をめぐる諸問題との接点も読み取れそうだ。
超常世界と超能力への関心
江戸時代の文政年間、「仙童寅吉」あるいは「天狗小僧寅吉」と呼ばれる15歳の少年が江戸の町を騒がせた。天狗(山人・仙人)にさらわれて、この世と異なる世界(仙界)で暮らした寅吉は、"超能力"を身につけてきたからである。
「仙童寅吉」をめぐる事件は、ふたつの側面から読み解くことができるだろう。
ひとつは、寅吉が超能力によって訪れた異界のようすであり、もうひとつは寅吉に示した知識人たちの関心のありようだ。
寅吉が見てきた世界は、この世とは異質で"超常的"な世界で、寅吉が体得した"超能力"は、現実を超え出る技術や感覚だった。これを現代にあてはめると、ヴァーチャル・リアリティ(VR)をめぐる技術開発と感覚変容に対する関心と近いのではないだろうか。
ヴァーチャル・リアリティは、日本では一般的に、「コンピューターを用いて人工的な環境を作り出し、あたかもそこにいるかのように感じさせること」「コンピューター技術や電子ネットワークによってつくられる仮想的な環境から受ける、さまざまな感覚の疑似的体験」などと説明される。
たとえば、アーネスト・クラインのSF小説を原作に、スティーヴン・スピルバーグが監督した『レディ・プレイヤー1』(2018年)は、環境汚染や気候変動、貧富の格差の拡大などにより荒廃してしまった2045年の地球で、仮想の世界「OASIS(オアシス)」に逃避し、理想の人生を楽しむことが希望となっていた。この「「OASIS」における体験などは、ヴァーチャル・リアリティをイメージするには好例かもしれない。
このようにヴァーチャル・リアリティのヴァーチャルについては、仮想や虚構、あるいは擬似と訳されることが多い。しかし、これらの訳語はあまり適切ではない。ヴァーチャル・リアリティ初期の研究者によれば、それは「みかけや形は原物そのものではないが、本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」であり、それじたいがヴァーチャル・リアリティの定義だというのである。
もうひとつの現実そのものである異世界はどのように創出され、どのように体験することができるのか。ヴァーチャル・リアリティ研究者たちの関心はこのように言い換え得ることができる。しかし、実はこうした探究心を抱いていたのは、彼らだけではないのだ。
異界を体験し、超能力を身につけた少年
『仙童異聞』をまだ手に取ったことのない読者のために、仙童寅吉物語のあらましを紹介しておこう。
寅吉が7歳のときのこと。上野池之端にある神社の境内で遊んでいたところ、薬売りの老人が小さな壺に並べていた薬を入れ、自分自身もそこに入ってどこかへ飛び去っていった。
仰天した寅吉が、別の日にまた神社に出向くと、老人から「一緒に壺に入らないか」と誘われた。寅吉は老人とともに壺に入ると、常陸国(現・茨城県)の南台丈という山へ連れていかれた。
寅吉は老人に連れられて各地を飛びまわり、常陸の岩間山(愛宕山)で修行しながら、祈祷術や占術、薬の製造法といった異能を伝授されていく。寅吉はずっと岩間山にいたわけではなく、江戸とのあいだを往復していたのだが、世間では天狗に仙界さらわれたとみなされていたのである。
この世とは異なる世界から帰還した少年に江戸の町は沸き立つ。
寅吉は、長崎屋の主人の新兵衛、またの名を山崎美成(よししげ)が珍談・奇談の会を開いていた薬商の長崎屋で暮らすようになる。そこに集った当代の知識人たちは、寅吉が異界で体験したことと、身につけてきた超能力について質問を重ねていくのである。
寅吉の体験と能力最も関心を寄せたのは、もちろん、『仙童紀聞』をまとめた平田篤胤だ。
篤胤は本居宣長に師事し、最初の著書『新鬼神論』では、神、鬼神の普遍的存在を証明しようとした。『霊能真柱』は、「霊」が死後に「幽冥」へ行くことを証明するため、古伝説に基づいて宇宙の生成を説いている。篤胤の目的は、異界とは、「こちらの世界」(顕界)とともに世界を構成する「あちらの世界」(幽界)の実在を証明することにあったのだ。