バブル期、まさにそのシンデレラコンプレックスを象徴する「三高」(高学歴、高収入、高身長)という言葉があった。女性が相手に望む結婚の条件として喧伝されたが、その後、長い不況期を経て2000年代に入ると、さまざまな「三◯」が登場した。
心理学者の小倉千加子が著書『結婚の条件』で指摘したのは「三C」という、confortable(快適な:意訳すれば「年収700万以上」)、communicative(理解し合える:意訳すれば「階層が同じかやや上」)、cooperrative(協調的な:意訳すれば「家事を進んでやる」)の3つ。
次に出てきたのが「三低」だ。低姿勢(威張らない)、低依存(家事ができる)、低リスク(リストラされにくい職業)。ここに低燃費(節約できる)が加わることもある。
そして、「三手」(手を取り合う、手伝う、手をつなぐ)、「三安」(安らぎ、安定、安心)と、女性の結婚の条件は現実的なリスク回避傾向が強くなっていき、最近では「三優」(家族に優しい、私にだけ優しい、家計に優しい)という、謙虚なのか自己中なのかよくわからない条件もある。
恋愛の高揚感のままにすべてを賭けてしまうような結婚は無謀として否定され、魅力的でも高リスクな物件には手を出さず、安全と安心をあらゆる角度から検討することが当たり前となった現代。しかし、出会った相手のすべてを知ることはできないし、そもそも思い描いていた人と出会える保障もない。むしろ人は自分の理想とは遠い相手になぜか惹かれ、自分でも思いがけない選択をしてしまうものではないだろうか。
今回取り上げるのは、ディズニーの『魔法にかけられて』(ケヴィン・リマ監督、2007)。ファンタジー世界に住まうプリンセスが現実世界に現れてさまざまな波乱を巻き起こすミュージカル・コメディだ。アニメと実写を交えつつ、『白雪姫』『眠れる森の美女』など過去のプリンセス物語のセルフパロディをはじめ、多くの作品へのオマージュをふんだんに盛り込んだ凝った作りで話題を呼んだ。
現在、「王子様とは結ばれない現代的なプリンセス」が定番となりつつあるディズニーだが、この作品の主役は、「いつか王子様が…」を夢見る、白雪姫とシンデレラとオーロラ姫を足して3で割ったようなヒロインのジゼル(エイミー・アダムス)。
冒頭のアニメパートは、森の中に動物たちと暮らす彼女が、その歌声に惹かれてやってきたエドワード王子と一目で恋に落ち、そのまま結婚を約束するという「イージー」な展開。ロマンチックラブ・イデオロギーの呪縛の中にいる二人は、現代の視線でシニカルに描かれる。
王子がジゼルと結婚するのを阻みたい継母の女王は、魔法使いの老婆に化けてジゼルを騙し、「永遠の幸せなど存在しない場所」である現代の世界に追放。ティアラに白いウエディングドレスのまま、ニューヨークの街中で王子の待つ「お城」を探して彷徨うジゼルは、ほとんど気の触れたコスプレイヤーだ。
偶然、バツイチの弁護士ロバートと幼い娘モーガンに発見されて助けられ、彼らの住むマンションに来たジゼルは、そのまま住み着くことになる。