理想の相手とは結ばれない? 映画にみる「結婚の条件」への皮肉

ロバートを演じるパトリック・デンプシーと主人公のジゼルを演じるエイミー・アダムス(Photo by Bryan Bedder/Getty Images)


散らかった室内をいつものように動物たちを呼び集めて掃除しようとすると、集まってきたのが鳩とドブ鼠とハエとゴキブリだったり、カーテンを勝手に裁断してドレスを作ってしまったり、初めて見るシャワーに感動したりと、ファンタジーと現実の齟齬の中で、「夢見る女」ジゼルの無邪気なスーパー天然ぶりが微笑ましく描かれる。

ドタバタしているところにやって来たロバートの恋人ナンシーは、二人の仲を疑い激怒。「身元不明のちょっとおかしな女の子」ジゼルに困惑したロバートは、なんとか彼女を家に送り返そうとするが、ことごとく失敗する。

もちろん最後にジゼルとロバートが結ばれるであろうことは予想できるものの、一方はおとぎ話の住人、一方は合理的な現実主義者であるだけに、真逆な二人が相手の感覚や考え方をいちいち驚きとともに受け止めるプロセスが面白い。

ミュージカル形式で表現されるジゼルの夢のような人生観に呆れるロバートだが、彼女の提案したナンシーとのロマンチックな仲直りが成功したことで、少し彼女を見直したりする。

ジゼルの方は、「君の言うような甘い恋は幻想」というロバートの言葉にショックを受けつつ、結婚を決める前に「デート」という段階があることを知り、どんどん現実世界への興味が増していく。

互いに新しいものを与え合い、刺激し合っている二人が、惹かれ合うようになるのは時間の問題だ。

さて、突然消えた花嫁を追って、おとぎの世界から現代のNYにやって来たエドワード王子は、街のあちこちで騒ぎを引き起こす。異様にポジティヴで正義感に溢れているものの、いささか単純で鈍いところもある彼は、ジゼルと同じく現実では完全に浮いた存在だ。

ようやく二人は再会し、王子のプロポーズを受けたジゼルはロバートやすっかり懐いた娘のモーガンと別れるが、内心後ろ髪を引かれる思い。現実世界の複雑さと面白さに触れ、その中で生きる人の魅力を知ったからだ。

一方、ジゼルを殺すために送り込んだ部下がヘマばかりしているのに業を煮やした女王がついにNYに現れ、すべての登場人物が一同に会する摩天楼での「キングとクィーンの舞踏会」の大団円へと傾れ込んでいく。

ここで、それまで別々に描かれてきたファンタジー世界と現実は混ぜ合わされる。客たちが皆、18世紀貴族のコスプレで踊る中、ジゼルだけが完全に今風の洗練されたファッションで登場するのは、彼女がロマンチスト(お約束通り、毒リンゴで倒れキスで目覚める)でありつつも、現代的な価値観を身につけてきたことを示す。

それは最終的にファッションだけでなく、巨大な竜に化けてロバートをさらった王女に、剣を持って単身立ち向かうという、おとぎ話とは逆転した勇敢な姿勢に現れる。

「いつか王子様が…」と受け身で幸せを待っていたジゼルが、環境の激変の中でさまざまなことを学び、旧来のプリンセスから逸脱した振る舞いをするのと対照的に、ロバートの5年来の恋人だった典型的な現代女性ナンシーは、エドワード王子の純粋さに自身のロマンチックなメンタルを刺激され、おとぎの世界で結ばれる。

一応「みんな幸せに暮らしました」という物語の枠を守ってはいるが、それぞれ当初の理想とは180度異なる選択となる結末は、「結婚の条件」とは一体何か? と問うているようだ。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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