もともと舘の概念は、83年に始まった国家プロジェクト「極限作業ロボット」の中核をなす。ロボットは構造化された既知の環境でしか作業ができず、原子力、海洋、石油コンビナートなどでの作業は、人間の判断が必要な局面が多い。そのため、遠隔から知能ロボットを分身のように動かすことを目指したのだ。
エリートを捨てた若者たち
もう一つ、青木が「日本には珍しい勝ちパターン」と言うのは、「経営」である。
「大学発ベンチャーは技術は素晴らしくても、経営人材を会社設立後に入れる例が多く、技術陣と噛み合わずに空回りしてしまう。しかし、テレイグジスタンスは設立時に駒が揃っていて、事業戦略がしっかりしています」
日本人、スリランカ人、チェコ人など多国籍チームでスタートした同社は、「スーパーエリートチーム」として語られているが、むしろ突き動かされるようにエリートを捨てた若者たちと見た方がいい。
日本人の父と台湾人の母の間に生まれた富岡は、生後まもなく父親を病気で亡くしている。「え、それ、書くんですか」と、富岡がたじろいだのは彼の高校中退後にまつわる話だ。高校1年の1学期で「つまらなくて」と、退学届を出した後、16歳の職場としては大胆だが、五反田のキャバクラで皿洗いをしていたという。
「朝帰りの生活を1年ほど続けていると、ある日、母親からカナダにいる親族の結婚式に行こうと言われました。到着した翌日、母は私のパスポートを持って帰国してしまい、『卒業するまで帰ってくるな』と、高校の手続きまでしていたんです」
外はマイナス40度。言葉は通じない。定期的に母親から送られてくる段ボール箱の中身はすべて書籍で、孫正義、本田宗一郎、稲盛和夫ら起業家の本だった。
「暇だから読むんですが、孫さんの本を読むと、俺、何やってんだという気持ちになるわけです」と、彼は苦笑する。母親の計算通りか、その後、アメリカの大学を卒業し、スタンフォード大学経営大学院修士を取得。三菱商事では大きなプロジェクトを動かしてきたが、そうした安泰のコースも「孫正義さん的に言えば、幻想(笑)」と、会社を飛び出したのである。
もう一人、富岡と96社を手分けして回った同社COOの彦坂雄一郎は、世界で戦いたいという思いからプロのサッカー選手を目指していたが、大学4年時に父親が経営していた小さな運送会社が倒産。家庭の事情により、サッカー選手を諦めて、東大大学院、そしてゴールドマン・サックス証券に入社した。が、新人研修が終わった直後に今度はリーマンショックに襲われた。周囲はリストラされたため、嵐のような日常を切り盛りしていく。
「お前は1年で金融業界の20年分を見たと言われましたが、9年続けたとき、テクノロジーの世界で革命が起きているのに、理工学部出身の僕が技術の世界から遠のいている。舘先生の研究を世に出して勝負したいと思ったんです」
彼らはテレイグジスタンスを「輸送革命」と捉えた。「移動をなくして、どこでも働ける」からだ。例えば、南米から日本に出稼ぎに来なくても、工場にテレイグジスタンスを置いておけば、日本が夜の間、昼間の南米から遠隔でロボットに作業させることができる。
普及させるには二つの課題があった。まず、ニーズはどこにあるか。そして、ヒューマノイド型ロボットはコストが高く、商業的に成功させた企業はない。この歴史的事実をどう克服するか、だ。