今回は、P=Paris(パリ)について(以下、出井伸之氏談)。
私が、初めてパリを訪れたのは、混乱の時代、1968年だった。
当時はフランス各地で学生運動が行われ、ついに1968年5月には、パリを中心とした民衆の反体制運動「五月危機」が勃発した。世界各地でも暴動や大規模デモなどのうねりが起き動乱の真っ只中にあった。私は、2年間滞在したスイスのツークという街にあるソニー欧州本部から、たった一人でパリに駐在することになった。学生時代から欧州の統合について研究していた私は、初のフランスで混乱と分裂の光景を目の当たりにし、衝撃を受けた。
一生のテーマである「個と組織」
同じ頃、日本でも反戦からの大規模な学生運動が起きていた。1969年には東大安田講堂事件、70年には安保闘争があり、世の中が変化する激動の時代だった。個人が社会に対し疑問を投げかけ、世の中を大きく変える大事件となって、変革の波が起きているのに、自国の日本で当事者として関わることができず遠くから眺めているだけの自分自身をとても悔やんだ。
そもそもスイスのソニー欧州本部からパリに駐在になったきっかけは、ヨーロッパの現場にいる私と日本の本社と大きな意見の相違があったからだ。私は、単身向かうことになった先のパリで、学生たちがフランスの社会と闘う姿を見た。
日本でも同様のことが起きていて、そして私自身に起きていたことが重なり、「小さな個人」対「大きな組織」というものが、心の中で強烈に響いた。それ以降ずっと、「個と組織」は私の一生のテーマとなっている。
その後、五月危機による学生や労働者の暴動は、当時のシャルル・ド・ゴール仏大統領が議会を解散し総選挙で支持を集めたことで終息した。ド・ゴール大統領がその時に演説で言った、「フランス人よ、適度に楽観的であれ」というフレーズへの驚きを私は忘れられない。
フランス人は、いつもバカンスを楽しみ質の高い生活を行なっているが、幸福と感じられていないのではないか。それはなぜなのだろうか。本当は、国の将来が見えず不安で、行き詰まり感を抱えているのではないか、と私は思った。
だったら、私は、本当にフランス人が目をキラキラと輝かせ働ける会社をフランスで作りたい、そういった強い思いを抱きつつ、ソニー・フランスを設立させるため奮起したのだった。
ソニー・フランス設立への挑戦
1961年、ソニーのショールーム第一号店がニューヨークにオープンし、当時は日本全体がアメリカへの進出に注力していた。一方で私は、ヨーロッパの大学院で学び、欧州での事業展開を北米で培ったノウハウを活かしながら推し進めようとしたが、ヨーロッパとアメリカでは全く違うということを思い知らされた。
それまでの販売代理店の契約を断ち切り、各国に現地法人の販売会社をつくり、ソニーの製品を小売店に直接販売したいと、私は考えていた。しかし、実際には、フランスでの日本からの直接投資には制限があり、ほぼ認められていなかった。現地法人の設立には、国の規制、文化や言葉など大きな壁が隔たっていた。