今回は、N=Nouvelle Vague(ヌーベルバーグ)について(以下、出井伸之氏談)。
私は映画が好きだ。その中でもフランスのヌーベルバーグには、特に深い思いがある。
ヌーベルバーグとは、1950年代後半から60年代にフランスの映画界で起こった若手の映画監督らと旧来からの映画作法の打破を試みたムーブメントのことを指す。代表的な監督は、「勝手にしやがれ」のジャン=リュック・ゴダールと、「大人は判ってくれない」フランソワ・トリュフォーだ。
1962年からソニーを休職してヨーロッパに留学していた私は、多くのヌーベルバーグ作品を観た。この時代、映画に限らず文学など多くの文化領域で新たな動きが勃発した。そして世界中で激震が走る動乱の1968年、フランスで「5月革命」が起きた。とのときソニーの駐在員としてパリにいた私は、「ヌーベルバーグは、社会変革が起きる前の不安の兆候の表れだったのだ」と、肌で感じる貴重な体験をした。
アメリカでは、同じころ若者がベトナム戦争や冷戦の拡大に対して変革を唱えるようになり、多くのアーティストが反戦や自由を表現した。イギリスの音楽グループのビートルズがアメリカでも大ブレイクし世界的な社会現象を巻き起こし音楽業界にも新しい波が起きた。やがて60年代半ばには社会変革の波が起き、より自由な社会が生まれフェミニズムやヒッピー文化が拡大していった。
一方、日本では、第二次大戦後の欧米の影響をうけ、ヒッピーブームが起きビートルズに憧れグループサウンズが全盛期となった。音楽だけでなく映画や文学にも反戦の色が濃く表れた。そして59〜60年と70年には安保闘争、69年には東大安田講堂事件、70年に三島由紀夫の自決があり、60年代後半は若者のパワーが溢れていた。
ヌーベルバークをはじめとする映画や音楽などの文化の波はあっという間に世界に広がり、その後、各国で社会の変革が起きていった。インターネットがまだ存在しない時代、一人一人が持っていた変革への思いや国や集団に対する反抗が、カルチャーを通じて世界の人々の心に拡大し、大きなパラダイムの変化が各国で起きた。個の思いがグローバリゼーションした、社会の大変革期だった。
1920年から始まった出井家のグローバル化
これまでも、ヨーロッパやフランスについて何度か語ってきたが、日本で生まれ育った私がなぜヨーロッパにこだわるのか、お伝えしたいと思う。
それは、国際経済学者だった父の影響が大きい。1920年代後半、国際連盟の一つであるILO(国際労働機関)の職員だった父に連れられ、本部のあるジュネーブに家族で赴任することになった。これが、出井家のグローバリゼーションの始まりだった。
任期を終え帰国したのち、「戦争に反対だ」と自由な発言もしていたようで特高警察の取り締まりもあり、出井家は日本から満洲に移り住んだ。そして私が8歳の時に中国・大連で終戦を迎えた。幼いながらも敗戦であらゆる立場が逆転する体験をし不安を抱きながらながら、私たち家族はやっとの思いで日本に戻ることができた。
グローバルな感覚を持った家庭で5人兄姉の末っ子として育った私は、ヨーロッパの話を聞かされて育った影響もあり、大学で研究したテーマは「ヨーロッパの経済統合」になった。育った家庭環境と学習環境からヨーロッパへの関心がごく自然に高まっていったのだった。