生まれ変わろうとするヨーロッパに育てられた
ソニーに入社した時、私は、ヨーロッパでの事業拡大の推進を希望した。ヨーロッパ経済の知識を習得するため、ドイツの経済学者で「第三の道」を唱えたヴィルヘルム・レプケ教授の元で学ぶことを目的に、ジュネーブにある国際・開発研究大学院の博士課程に入学した。1962年からの約2年間就学し、ツークにあるソニー欧州本部にも出入りしながら、大学院や社会からヨーロッパ全体の文化や考え方の違いや、ありとあらゆる情報を思う存分に吸収した。
フィナンシャル・タイムズを購読し、ヨーロッパでどこの会社が統合するかも興味深くウォッチしていた。そして最後に大学院で「ヨーロッパ・国家・企業の統合」をテーマにフランス語で論文を書いた。実によい出来だったようで教授間でも評判だった。このように、ヨーロッパとの深い関わりを、父から引き継ぎ自らもつくりあげていった。
1966年に再び、私はソニーの一員としてツークに赴任した。ヨーロッパへの事業拡大をすることになり、ドイツは水島、イギリスは並木、フランスは出井と指名されたのだ。その頃フランスはヨーロッパの中で最も官僚的で経済の進歩も遅れていた。それぞれの国にある違う壁をいくつも乗り越え、イギリス、ドイツに続きようやく70年代に入ってから、ソニーフランスの設立が実現された。
時代は、文化も社会も新しく生まれ変わる節目だった。そこに私はいた。先に話したように、私は2度にわたるヨーロッパ滞在でヨーロッパ文化の変革を体感し、1968年に起きた「5月革命」や学生の戦いを目の当たりにし、この大きな変化は世界へ連鎖することを確信したのち、瞬く間に地球の反対側の日本においても68、69、70年の動乱へと広がっていくのを目撃した。
世界から日本をみて、学んだこと
1972年に帰国した私は、それまでの経験で培ったヨーロッパ的な考え、アメリカ的な考え、そして日本的な考えを、クリアに整理することができていた。ソニーフランス設立時のフランスの銀行との合併の契約がとても勉強になったことは間違いない。
アメリカはビジネスケーススタディの積み重ねによる法の在り方、ヨーロッパは精神の積み重ねの上にある法、日本は先進各国の法律を取り入れた法の体制。国をまたいだ契約は、そもそも本質的なことが国ごとにこうも違うのかと思った。このことは、ソニーの経営においても大いに役立った。
私は数か月前から、フランス語を再び学び直している。歌から反戦の思いや歴史を学び、あらためて気づくことがたくさんある。私の心の中にはいつもヨーロッパがある。
ジュネーブで学んだ師匠のレプケ教授の教え「第三の道」は、今も思考するときの基となっている。私が、ヨーロッパ社会を理解するのにヌーベルバーグというカルチャームーブメントにどれだけ影響を受けたか、今でも映画を観て当時を振り返ることがある。世界中で起きた、社会を変革させたい個の思いが、アートやカルチャーを通じてグローバリゼーションされていった1960〜70年代、その激動の時代を私は今でも昨日のように思い出す。
現在、「個の時代」といわれ、あらゆる手段を用いて個人が世界中にそれぞれの思いを表現している。ヌーベルバーグの時代同様、まぎれもない社会変革の前兆といえるだろう。