パイパーは15歳でボブ・ディランに熱中し、ミュージシャンに憧れた。しかし、コードを3つしか弾けなかったため、ミネソタ州レッド・ウィングでギター職人の道を歩み始めた。大好きなギターを修理する生活は楽しかったものの、パイパーは自分の腕に限界を感じて別の道を歩むことを決めた。
パイパーは大学を卒業後、家族の友人が経営する宅配会社の倉庫でフォークリフト業務の職に就いた。彼は若い頃から文章を書くのが好きで、ブログを立ち上げた。そのブログで、パイパーは厳冬のミネソタで長時間散歩することの楽しさについて綴った。当時、彼の妻は双子を妊娠中で、疲れから午後7時半には就寝していたという。
「妻が眠りについた後、私は一人で夜の街を徘徊した。私はミネソタに愛着があり、特に冬場に時間をかけてゆっくり散歩をするのが大好きだ。気温がマイナス13度にもなると人気はまばらで、すれ違う人々は黙って歩いていてまるで別世界にいるようだ」
パイパーは自分の記事が読者に価値を提供すると信じて書き続けた。彼は「いいね」やリツイートの数、ページビュー、コメントなど、ブログの評価を図る指標をスプレッドシートに記録して分析したという。
ある時、パイパーは自身のブログを読んでいて、文字数が多過ぎることに気付いた。そこで、彼は文字数を22ワードに制限し、ブログの名称も「22 Words」に変更した。当時は、1日のPV目標を2500PVに設定していた。その頃はこれで生計を立てられるとは考えていなかった。
しかし、ブログにアマゾンのアフィリエイトリンクを貼ったところ、2009年には数千ドルを稼ぐことができた。その後、私生活以外の話題について書き始めたことをきっかけに、StumbleUponやフェイスブック経由のトラフィックが急増し、月間PVは2010年12月に20万PVに達し、その後35万PVにまで増加した。