IBMは確かに、その他の数多くの大企業と同様、業務の多くを各国にアウトソースしてきた。だが、106年前に米国で設立された同社の軸足は、今も自国に残されている。本社も主要な研究施設も、国外に出てはいない。
ただ、長引く売上高の落ち込みからも分かるとおり、米国での業績は低迷している。そのIBMの長期的な業績悪化の根本的な原因は、成熟期を迎えた事業がその後に衰退期に入るタイミングで、急成長が見込める新たな事業セグメントに移行できなかったことにある。
公平を期すために言っておくと、IBMが「戦略的必須項目」とする部門(クラウドサービス、ワトソン、ビッグデータ分析、セキュリティー、ソーシャル・モバイル関連技術など)の売上高はここ数年、増加している。ただ、すでにアマゾンやマイクロソフト、グーグルなどの大手が競い合うこれらの分野で、IBMは他社に遅れを取っている。
IBMの経営陣は明らかに、かつて自社をテクノロジー業界のリーダーにしてきた先駆的な活力を取り戻すことよりも、従来から手掛けてきた事業を復活させることに、あまりにも多くの時間を費やしてしまったのだ。
打開策はどこに?
こうした点からIBMを見たときに浮かんでくる疑問は、「古くからある業務を、どうしても継続する必要はあるのか?」というものだ。それらの事業は、低コストで継続が可能なインドやその他の地域にアウトソースされているからだ。
IBMにとって落とし穴となったのも、アウトソーシングだった。減り続ける同社の営業利益を増加に転じさせることに、寄与しなかったのだ。アウトソーシングはさらに、事業に関する新たな取り組みを推進するためのリソースを経営側から奪ってしまった。そのために、新たな事業セグメントへの移行が遅れてしまった。そして、ウォール街もこのことに気付き、その他のテクノロジー株が急騰する中でも、IBM株は下落してきた。過去5年間に、同社株は価値の30%近くを失った。
アウトソーシングは早期において、つまり最初にそれを導入した企業には、ある程度の競争上の優位性をもたらす。だが、アウトソースすることはその企業の独占所有物ではない。他社も同じことができる。企業に持続可能な競争上の優位をもたらすものではない。
そして、最初にアウトソーシングを始めた企業の経営側には、自己満足も生まれる。そうした企業のトップは、市場リーダーの特徴となる先駆的な活力を新たなものにすることを怠るようになるのだ。
かつてのHPでは、PC部門でこうしたことが起きた。アウトソーシングはコストを削減し、企業規模の拡大を抑え、営業利益率を引き上げるはずだった。だが、HPの場合はそうはならず、売上高を再び伸ばす代わりに、アジアのメーカー各社にPC・プリンター事業での優位性を譲り渡す結果となった。
HPに起きたその後のことは、広く知られているとおりだ。インドやその他の国へのアウトソーシングの規模を縮小しない限り、IBMもまた、HPと同じ道をたどっていくことになるだろう。