早雲は壮年期を過ぎてから戦国人としての本格的な活動を始め、齢80にして後北条氏5代にわたる西関東支配の礎をつくった人物とされている。本当はもっと若かったらしいが、人生50年とされた当時にあって、晩成型の代表格であったことは間違いない。
その早雲が強調するのだから、年をとっても時間さえあれば読書せよ、できればメモを取れ、勉強しなさい、という含意だろう。
江戸時代の後期にも、熟年になってから歴史に残る偉業を成し遂げた人物がいる。伊能忠敬だ。当時の蝦夷地で測量を敢行したのは55歳、以後17年間で10回に及ぶ全国測量を行った。その成果である『大日本沿海輿地全図』が全貌を現し始めたとき、忠敬は72歳になっていた。
最近の悲観主義キーワードのひとつが少子高齢化である。人間は年齢とともに衰えるものだし、日本が高齢者主体になっていく事態は、深刻な社会的課題を突き付けている。
しかし、同時に寿命の延びも目を見張る。今や人生90年時代、しかも一説に「昔の八掛け年齢」という。現在の80歳は、昔であればその八掛けの64歳というわけだ。医学やライフスタイルの進歩で、元気な老人といわれる方々は、「元気な中年」なのである。
そうなると、75歳が還暦だということになる。新還暦だ。これによれば、60歳など引退するまでに15年間もあることになる。この15年間を実り豊かにするためにどうすべきか。もちろん趣味を楽しむのもよい。朝寝朝湯を堪能するのも悪くない。だが、早雲や忠敬にならって、本格的に勉強をやり直すというのはいかがだろうか。
小学校から大学までの期間を合計すると16年間。ほぼ60歳から新還暦までの歳月に相当する。これを利用しない手はない。早雲や忠敬の時代とは、比べものにならないほど教育機器や環境も整備されている。趣味的ではなく、試験を受け、資格を取るような本格的な勉強をしたらいかがだろうか。
身につけるための勉強は、仕事にも役立つ。高齢化すると記憶力や反射能力は衰えるが、ひとかどの社会生活を経てきているのだ。前半生60年間の経験を踏まえた新たな勉強が軌道に乗れば、70歳起業など当たり前になる。高齢化は日本社会の負担から財産に変わる。