創業170年、重電系コングロマリットの名門・独シーメンス。1990年代末から大胆な経営改革に乗り出し、事業売却・買収で、事業ポートフォリオを再構築。「インダストリー4.0」の中核を担うデジタルカンパニーへと変貌を遂げた。なぜ、シーメンスは経営改革を実行しえたのだろうか─。日本法人のシーメンス専務執行役員を務める島田太郎に、早稲田大学大学院(ビジネススクール)准教授・入山章栄とデロイト トーマツ コンサルティング執行役員パートナー・日置圭介が話を聞いた。
入山:90年代まで、家電から原子力発電から様々な分野を手掛け、日立製作所のような日本の重電メーカーとよく似た事業ポートフォリオを持つ企業だったシーメンスですが、2000年前後からは数多くの事業売却と、エネルギーやヘルスケアの積極的な買収を急速に進めることで、グローバル企業としての現在の確固たる地位を確立しました。一方の日立は、09年3月期に製造業で日本企業史上最大となる7,873億円の赤字を出すまで、経営改革への舵を切ることができませんでした。この両社の「変化」に対する意識の差には、シーメンスと日本企業との根本的な違いが表れているように思います。
日置:日本企業の多くも、長期的な視点を一応は持っており、このままではいずれ厳しくなると勘づいてはいます。ただ、それが危機感となり、戦略的な行動にまでつながるほど、経営層の間で徹底的に議論、共有されているケースは限られます。
島田:変化や危機に対する国民性の違いは大きいと思います。日本人の場合、直近の不安に対しては強く反応できるのですが、徐々に悪くなっていくような、真綿で首が絞まるような危機への反応は鈍い。一方、ドイツ人はそうしたことに対して、ものすごく機敏に反応します。例えば、16年にドイツ連邦議会で「30年までにディーゼル・ガソリン自動車を禁止する」という決議案が採択されたことが象徴的です。法的拘束力はないとされていますが、ディーゼル開発と普及にお金を注ぎ込み、ディーゼル至上主義で突き進んでいたのに、世界のトレンドが変われば、まさに一夜にして方向転換し、現在は電気化へと移行しています。
入山:では、日本人で構成された日本企業が、シーメンスのように長期的な視点を持って、早期に戦略的に動き出すことは難しいのでしょうか。
島田:次に来る「メガトレンド」を真正面から経営課題として捉え、長期的な戦略を立てられれば、不可能ではないでしょう。そして、それは「仕組み」で実現が可能です。シーメンスの場合、「ピクチャー・オブ・ザ・フューチャー」という機会を用意しています。そこでは、経営の執行を担うマネージングボードメンバーを中心に、事業部のトップ級、米西海岸の起業家やファイナンシャルアナリストといった外部の大胆な思考をする人を集め、メガトレンドについて、「自分たちのコア・バリューをどうやって生かすか」という視点を基本にしつつ、徹底的に議論しています。最も大切なことは、自分たちの都合のいいように解釈せずに、社内の人間が外部の人間と「腹落ち」するまで議論を重ねる点です。そのプロセスは6カ月にわたります。
入山:単純に世の中のトレンドを追いかけて「次に流行るから」ではなく、しっかりと自社のコア・バリューを徹底的に突きつけるわけですね。