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2017.06.08 17:30

アジアのトランプ、ドゥテルテ訪日中止の舞台裏

ドゥテルテ大統領(Photo by Suhaimi Abdullah / gettyimages)

6月5日と6日、国際交流会議「アジアの未来」が東京で開催された。「アジアの未来」は、例年、首脳をはじめアジアの名だたる要人が招待される日本有数の大型国際会議だが、今年の目玉は、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領の出席だった。

ところが、会議当日、ドゥテルテ大統領の姿はなかった。フィリピン政府は、会議のわずか1週間前の5月30日、大統領の訪日中止を発表したのである。

ドゥテルテ大統領の訪日は、実現すれば、昨年10月に続く就任以来二度目の機会になるはずだった。ドゥテルテ氏は就任以来、親中国の路線を明らかにしており、5月上旬には北京で開かれた「一帯一路」をテーマとする国際会議に出席している。今回の訪日は、日本政府にとっても中国に対抗して日比関係を強化する上で重要な機会となるはずだった。

突然の訪日中止の裏で、一体何があったのか。

フィリピン史上3度目の戒厳令

5月23日、ドゥテルテ大統領は、訪問中のロシアにおいて南部ミンダナオ島に戒厳令を布告した。

同日、戒厳令に先立ち、ミンダナオ島で活動するイスラム武装勢力「マウテ」は、西部マラウイ市でフィリピン国軍と警察との間で大規模な交戦に入った。これにより、国軍兵士と警察官3人が死亡。マウテは病院や市庁舎を占拠し、マラウイ市民を「人間の盾」として人質にとった。

戒厳令は、マラウイを占拠する武装勢力含め、ミンダナオ島におけるイスラム武装勢力を掃討し、治安を回復することを目的に布告されたものである。

ドゥテルテ大統領は、ロシア訪問の日程を短縮して急遽帰国。プーチン大統領との会談は前倒しで実現したが、メドベージェフ首相との会談はキャンセルされた。

本稿執筆(6月7日)時点で、マラウイ市での交戦は続いている。国軍兵士と警察官の死者は38人、武装勢力側の死者は120人に上った。ドゥテルテ大統領は、「安全が保証されるまで戒厳令は続ける」「必要であれば全土に拡大する」と宣言し、治安回復のため一歩も引くことのない強い決意を明らかにした。

訪日中止は、このような緊急事態を背景に決定されたものである。

第2次大戦後、フィリピンで戒厳令が布告されたのは、1972年のマルコス政権、2009年のアロヨ政権に続き3度目である。マルコス時代の戒厳令は9年の長きにわたり、フィリピン国民には忌まわしい記憶として残った。

今回の戒厳令の期間は60日間で、地域はミンダナオ島に限定されている。しかし、ドゥテルテ大統領は、イスラム武装勢力を掃討するまでは期間を延長し、地域もフィリピン全土に拡大する可能性があると述べている。

イスラム教徒との和解は大統領の悲願

ミンダナオ島は、キリスト教徒が多数を占めるフィリピンにおいて全人口の5%を占めるイスラム教徒が集中して居住している。この島では、長年にわたり、分離独立を目指すイスラム系武装勢力とフィリピン政府との間で武力衝突が続いてきた。

ドゥテルテ大統領は、イスラム系武装勢力との和平を政権の重要課題と位置づけ、就任以来、並々ならぬ意欲をもって取り組んできた。
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文=石井順也

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