世界三大映画祭の最高峰、カンヌ国際映画祭が2014年の審査員特別賞を授与したのは、ジャン=リュック・ゴダール監督の『さらば、愛の言葉よ』だった。1930年生まれ、84歳の巨匠がいまさら若手と競合するなんて……。そんな事前の危惧を完全に払しょくしたのは、この新作が彼にとって初となる試み、3Dで作られた驚くべき作品だったからだ。
ゴダールといえば1959年、『勝手にしやがれ』で鮮烈なデビューを飾ったヌーヴェル・ヴァーグの旗手だ。フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメールらとともに、当時軽量化されたばかりのカメラを街へ持ち出し、映画に新しい息吹を吹き込んだ革新的ムーブメント、ヌーヴェル・ヴァーグ。ゴダールはその中心的存在として、みずみずしく、洗練され、何より観ることの快楽に溢れた映画を次々に作り出した。『女は女である』(1961)、『軽蔑』(1963)、『気狂いピエロ』(1965)などは、いまなお多くの人たちを魅了するヌーヴェル・ヴァーグの金字塔だ。しかし60年代後半以降、商業映画から遠く離れ、あるときは政治に深く関わり、あるいは芸術を追求する彼の映画は、軽々しく感想を口にするのも憚られる、非常に難解で高尚な作品になっていった。
『さらば、愛の言葉よ』も、そこに劇映画的なストーリーを見出そうとするなら、難解で高尚な印象は免れない。あらすじはこうだ。人妻と独身男が愛し合い、諍いを始め、やがて別れる。そして1匹の犬が辺りをうろつき、季節は巡って、ふたりは再び出会う。彼らの第2幕は、かつてと同じようで、それでいてどこか異なり……。いや「、さらば「」言葉よ」とのタイトルを掲げた本作を、言葉によって説明しようとすることほど、ゴダールにすればバカバカしい話はないだろう。彼は2014年のカンヌ映画祭を欠席した際、関係者に向けたビデオレターの中で、「これはもはや映画ではない。単なるワルツだ」という釈明を行っている。確かに本作は、近年のゴダール作品と同様に、映像と音を巧みにコラージュして編み上げられた一編の映像詩だ。しかし近年の彼の作品の中でも突出しているのは、3Dという最新技術を誰も予期しえなかったかたちで用い、誰の目にも明らかなインパクトを残すからだ。
3Dのテクノロジーはジェームズ・キャメロン監督作『アバター』で急速に進化し、3D映画の世界的な普及に貢献した。ポイントは、3Dの“立体感”を拡張し、観客が映画の中に入り込むような“臨場感”を生み出したことだ。だが『さらば、愛の言葉よ』を観ても、そのような臨場感にたかぶる瞬間はまるでない。むしろ“違和感”や“不快感”を感じて、あらためてスクリーンを見つめ直したとき、「ハッ!」と気づくのだ。3Dメガネ左の眼がとらえる映像と、右の眼がとらえる映像に、微妙な差異があることに。例えば、左の眼では鏡に人影を見出すのに、右の眼に映る映像では人影など存在していなかったり、本作は3D映像のズレを利用して、観る人に「あなたは何を観ているのか?」という本質的な問いを突きつける。そして多くの映画が愛や希望といった「見えないもの」を描き出すのと違い、本作は目の前の物事をそのままとらえることがいかに困難かということ、つまり「見えないこと」を浮き彫りにする。3Dを通じて、その真実を体感させてくれるこの作品は、実にスリリングでアトラクティブだ。決してほかに似たもののないゴダールの新作は、ゴダールという文脈を理解しない人をも、その破壊力で圧倒する。