ジレットが取り上げたのは、若者の携帯依存の問題だった。CMは日本人を含むさまざまな人種の父親とのインタビューから始まる。父親たちはテクノロジーによって直接話す機会が減り、息子との絆を強めるのが難しくなっていると話す。
その後、新技術を搭載した携帯電話の実験という口実で集められた息子たちは、質問を携帯に投げかけ、その回答を聞く。息子たちは、あまりにも自分を熟知した回答に感心してしまう。
実はこの回答、息子に気付かれないように音声を変えた父親によるものだった。種明かしされた息子は驚き、親子の絆を再確認。CMは「今年の父の日は、お父さんに聞こう」というメッセージで締めくくられる。
このCM、映像制作の面で問題はあるものの、戦略とアイデアは非常に強力だ。
まずは、ジレットが示した「若者は携帯に時間を使いすぎている」という意見。これにより、ジレットは若者を敵に回してしまうかもしれない。だがそうした若者は、まだひげをそる年齢に達していないはずだ。
こうした立場表明を私は「野心的両極化」と呼んでいる。つまり、表面的には世論を分断(両極化)させるような内容であるものの、実際には誰も敵に回すことないマーケティング手法だ。こうした表面的な両極化はストーリー性を生む効果がある。
ジレットは今回のCMで、若者の携帯依存の問題を父親と結びつけることで、あらゆる批判をかわすことに成功した。
誰もが欲する気付き
私の経験から言えば、若者の頭は親を拒絶するようプログラムされている。これは自然なことであり、人類が繁栄できた理由でもある。人類が何世代も同じことを繰り返していたならば、今でも馬車を乗り回し、車社会は誕生していなかっただろう。
だからといって、父親が全くの役立たずというわけではない。私たちは年を取ってはいるものの、知識がある。良質な、役に立つ知識だ。このCMは、その事実を見事にたたえている。
この気付きは双方向だということも忘れてはならない。若者は父親が思う以上に役立つ存在であることに気付いた一方で、父親も息子の役に立てることを喜んでいた。CMでの父親の反応を見れば、この実験は父親にとってより深い意味があったことが分かるだろう。