ペイパルの共同創業者で、テスラモーターズのCEO。映画『アイアンマン』のモデルであり、宇宙ロケット製造開発会社「スペースX」のCEO―。
イーロン・マスクという名を聞いて、人々が思い浮かべる姿はさまざまだ。では、肩書をすべて取っ払ったマスクはどんな人物なのか。2番目の妻と離婚する直前の2012年、密着取材を行った。
(中略)「相反する思想、あるいは相反する意味の集合体であって、近代史を見てみると、戦いは遺伝子対遺伝子の戦いではなく、むしろ意味の構成体同士の戦いになっているのさ」
こんなことを、さらりと言ってのける男なのだ。それも、テレビゲームをしながら。
(中略)63歳にしていまだに引く手あまたのファッションモデルである彼の母親メイは「3人の子どもたちと歩いていて、イーロンがいなくなったときは、決まって本屋にいた」と振り返る。
「やっと見つけた、と思うと、床に座り込んで自分の世界に入り込んでいる。それにまだ8歳か9歳のときにブリタニカ百科事典を読破し、中身をすべて覚えていたのよ!」
南アフリカ共和国のプレトリアで育ったマスクは、子どものころ、友達の口から発せられる“事実誤認”を正すという行為を繰り返していた。内容は大したものではない。だが結果、無意識のうちに彼らと距離をつくってしまった。マスクは、相手のためにしているつもりだったが、相手はそれを傲慢だと感じ、いじめることで対抗されたのだ。
「残酷なまでに正直なところがあるのです。『ああ、やめて、それは相手を傷つける言葉だわ』。いつもそんなふうに思っていました」
妹のトスカはそう振り返る。(中略)
「私生活でもそのまんま」
イーロン・マスクといえば、合理的で知的なイメージで通っているが、同時にプレイボーイとしてもその名を轟かせている。(中略)若くて、整った顔立ち。加えて自分の手で成功を掴んできたマスクには、どこのクラブに行っても、勝てるカードが揃っている。後に2 番目の妻となるタルラ・ライリーとも、彼女が23 歳のときにロンドンのクラブで出会った。
ライリーとの恋が終わったことを筆者が知ったのは、まさに取材中だった12 年1月17日のこと。深夜にアップされた、次のようなツイートを通してだった。
「@rileytalulah 素晴らしい4 年間だった。いつまでも愛している。きっといつの日か、誰かを幸せにしてあげて」
破局の報告を見てすぐにマスクにメールを送った。すると彼から電話がかかってきた。
「気持ち的に、無理になっちゃったんだよね」と彼は静かに語った。明らかにいつもとは違う彼だった。悲しそうでもあり、とても人間的だった。同時に「生」を実感しているようでもあった。
「決定的に、恋が終わっちゃったということなんだ」
(中略)二度目の離婚は、きっと一度目ほど大変ではないだろう。マスクによると、最初の妻と離婚した08年は、人生で最も大変な年だった。取材には応じてもらえなかったが、元妻ジャスティン・マスクはマリ・クレール誌でふたりの間の問題を、こんなふうに語っていた。
「並外れた成功をもたらした彼の特性は、私生活でもそのままでした。“ 妥協点”というものの存在を許さなかったのです」
これに対して、イーロン・マスクは、おおよそ沈黙を貫いた。
今でも愛を信じられる? そう問えば「ああ、もちろんだよ」と答える。しかし、マスク自身それがどうやって、あるいはどこで見つければよいものなのか、わかっていない。彼の理想像は無私無欲、勤勉、現実的、だそうだが、これまでのハリウッドのクラブで遊んでいたころの彼とはどうにも相容れない。
もし、愛を見つけられなかったら?という問いには「そしたら僕はひとりぼっちで誰もいないということになっちゃうからね、悲しいよ」と答えた。(以下略、)