顧客のニーズに即応できる「運動体」のような組織づくりに、新しい経営モデルがあった。(前編はこちら)
第一生命は日本で最初の相互会社であり、創業者の矢野恒太が「日本の生命保険業界の揺るぎない規範」にすべく、1902年に誕生したものだ。矢野は日本生命の検査医をやめ、不良保険会社が乱立する時代に、相互主義を研究。ドイツに留学し、あまりの熱心さから「保険」とあだ名されたほどだ。
しかし、「契約者が会社の構成員」という仕組みをとる相互会社では、資本調達が限られている。余剰金を配当に回す仕組みでは、危機の時代に対応できず、96年の保険業法改正以降、生保の株式会社化は議論の的になっていた。
森田の次に社長に就任した斎藤勝利は、07年に株式会社化を決断した。当時、専務だった渡邉が振り返る。
「悩んだのは、思想対立が起きることでした。経営思想の変換は一枚岩でないと、会長派対社長派のように分裂しかねないのです」
顧客志向の経営品質経営と、株式会社化は、矛盾と取られかねない。社内の分裂が危惧されると、助っ人を買って出たのが、歴代の社長たちだった。
「櫻井が『創業者は相互会社だけにこだわっていたわけではないぞ』と言って、昔、矢野恒太が明治大学で講演した講演録を探してきたのです。そこで確かに『株式会社がいいか、相互会社がいいかという議論があるが、家に例えれば、木造にも石造りにもそれぞれいいところと悪いところがある』と言っていました。要するに、お客様にとって時代に合った良い家を求めるのが我々の本質だということなのです。
社長の斎藤は創業者のこの言葉をコピーして組織内に配布しました。でも、会長の森田が反対していると誤解されかねないので、森田が管理職層の講演で、また、櫻井が社員向けの講演でこの話をしてくれたのです」
「業界1位はやめてください」
10年4月1日、渡邉は新社長に就任し、「6万人の入社式」を行った。顧客志向の「経営品質経営」と、一見それと相容れないように思える「株式会社化」をどう親和させるか。この矛盾のような問いの答えを、渡邉は「新創業」と打ち出して、6万人の役員と社員を、新入社員として迎える入社式を行ったのだ。
新創業と同時に進めたのが、DSR経営である。前社長の斎藤が進めたCSR経営を独自の経営スタイルに進化させたもので、「Dai-ichi’s Social Responsibility」の略である。渡邉が言う。
「DSR経営の戦略の本質は、経営革新を行い続けるために、組織と社員を磨き上げることだけを希求しています。煎じ詰めれば、社員一人ひとりが人間力を高め、その総和として組織力を高めようとするものです」
渡邉が刺激を受けたと言う前述したネッツトヨタ南国の話は、実は第一生命の創業者、矢野恒太の思想に似ている。どちらも、相対競争をしないのだ。