データから導き出した結論として、森田はあらゆる場で、「本当の危機の正体」を警告し始めた。それは「生産年齢人口の減少」である。森田は95年を境に減少し始めた生産年齢人口が社会のあらゆるマイナス現象の元凶になると指摘。前述のグラフを見ると、大半の業種が96年頃から販売実績を下落させている。つまり、経営の巧拙や経済情勢の問題ではなく、人口構造に根本的な原因があると森田は主張したのだ。しかし、森田の提言は、当時ほとんど相手にされなかった。
渡邉が振りかえる。
「森田が北極のシロクマに例えたのは、いつまでもそこにいるだけではダメだということです。例えば、ビールは95年をピークに13年には6割減と劇的に消費が落ちています。しかし、少子高齢化と趣味嗜好の多様化でビールは激減する一方で、『第三のビール』など新ジャンルにより、03年の発売以降、反転しています。また、ソフトドリンクやワインの販売に手を広げ、さらに海外に進出することで、収益構造を変えているのです」
保険も同じことが言える。
「それまで生命保険会社の業績は死亡保険金額の合計である保有契約高で測ることが一般的でした。これだけ見ると、生産年齢人口の減少とともに、大きく下がっています。しかし、お客様のニーズを考えると、医療分野や介護分野、貯蓄性の高い保険や年金など商品開発する余地がまだまだあったのです」
森田は二大戦略を打ち出した。「経営品質経営」と「生涯設計」である。
経営品質経営とは、一言で言うと、「顧客満足を軸にした経営革新」である。森田の前の社長だった櫻井孝頴が創立メンバーとして95年に発足した「経営品質協議会」は、97年から「日本経営品質賞」を発表している。こうして第一生命で「経営品質経営」の推進事務局を任されたのが、渡邉だった。
「実は、経営品質経営は、日本が逆輸入したものなんです」と、渡邉は言う。70年代、自動車分野を中心に国際競争力を低下させたアメリカは、80年代に日本研究を始めた。日本の強さは組織や人も含めた全社的な品質管理にあると見て、毎年アメリカから1,000人を超す人々が日本を訪問。製造現場を視察し、CS(顧客満足)を軸にした経営品質向上を国家戦略としたのだ。
この運動を主導したのが、レーガン政権の商務長官だったマルコム・ボルドリッジで、彼の名前を冠した賞が設立された。98年に受賞企業報告会を視察した斎藤勝利(現会長)は、「うちの会社はいいところに目をつけた」と思ったという。全米中から1,700人の企業人が集まり、経営品質について猛烈な議論をしていた。その熱気に視察団は圧倒されたのである。
しかし、第一生命が「経営品質経営」に取り組むというのは、矛盾があった。渡邉が述懐する。
「社長の森田が、『巨大な軟体動物に背骨を通す必要がある』と言ったのですが、うまい表現だと思いました。タコやイカのように背骨をもたない動物に、背骨をもたせるという絶対矛盾をやるという意味です。製造業の場合は製品をつくり、顧客評価をフィードバックして、マーケティング、営業、設計、在庫管理、人事という社内ガバナンスすべてに応用し、活用できます。
しかし、金融や生保には目に見える製品はないのです。しかも、第一生命には当時6万5,000人の社員がいて、1,000万人のお客様への営業・フォロー活動が日々行われています。毎日、不規則事態が無数に起こるのに、マニュアルや規則のみで活動の品質を上げることは事実上、不可能なのです」
しかし、森田は創立百周年を迎える02年までに「日本経営品質賞」受賞を目標に掲げた。外部の第三者による審査が行われるのだが、そもそもその規模ゆえに客観評価すら難しい組織である。それをやると決めたのだ。