心躍るドラマを生む全英オープンの舞台「ロイヤルトゥルーン」の魅力

8番ホールのグリーンは、5つの深いバンカーと複雑な起伏の丘が取り囲む。

第145回全英オープンでは、40代のゴルファー達が優勝を争う姿に勇気づけられた。一方で、目立った成果を上げられずに終わった日本勢の不甲斐なさも––。今年もまた人間ドラマの舞台となった、由緒正しきリンクスの魅力とは。

第145回の全英オープンは、フィル・ミケルソンとヘンリック・ステンソンの素晴らしいデッドヒートを歴史に刻んで幕を閉じた。

難易度の高いインの最終5ホールで4バーディーを取ったステンソンが、スウェーデン人として初めてクラレット・ジャグを手中にし、全英オープン史上最少スコア、20アンダーの偉業も同時に達成した。46歳のミケルソンと40歳のステンソンの戦いぶりは、われわれ中年ゴルファーにも大変励みになる大会であった。

一方、わが日本勢は、期待の松山秀樹は初の全英オープン予選落ち、決勝トーナメントに進んだ池田勇太と市原弘大も、それぞれ13オーバー、18オーバーと散々な結果に終わった。不振の原因は、単純にリンクスでの経験が少なすぎるからだと思う。リンクスに付き物の雨風を日常のように経験し、楽しむことができないことにはどうにもならない。

今大会の舞台ロイヤルトゥルーン・ゴルフクラブ(Royal Troon Golf Club)は、スコットランドの南西、サウス・エアシャー州のクライド湾沿いに位置する名門リンクスである。創設は1878年。1923年に最初の全英オープンを開催したのを皮切りに、今回の開催で9回目だ。

初回大会の優勝者は、アーサー・G・ヘイバース。同年の全米オープンでは球聖ボビー・ジョーンズが初優勝を果たし、3年後の26年には全英オープン初制覇。50年の2回目開催大会では、南アフリカ出身のボビー・ロックが全英史上初めて280を切り、279で優勝している。

創立100年後の1978年、エリザベス2世、つまり現在の英国女王からロイヤルの称号を贈られ、名実ともに英国を代表するゴルフ場となった。ロイヤルトゥルーンの紋章には5本のゴルフクラブに絡みつく海蛇が意匠化されており、初代事務局長を務めたジョン・ハイアット医師に由来し、医学を象徴しているとも言われている。

競技の舞台となるオールドコースは、聖地セントアンドリュースと同じく、ゴーイングアウト、カミングインタイプの典型的なリンクスコースだ。元々は12コースだったが、最初の所属プロ、ジョージ・ストラスによって18コースへ拡張されたのち、1887年にウィリー・ファーニー(1883年の全英オープン優勝者)の手で現在の形に整えられた。

名物ホールが綺羅星のごとく存在しているが、特に有名なのが通称Postage stamp(郵便切手)、8番ショートホールであろう全英開催の経験を持つすべてのリンクスコースのなかで、123ヤードと最も距離は短いが、しかしその難しさはピカイチだ。まずグリーンが小さい。ティーグランドから見ると、縦長で、文字通り郵便切手のようにみえる。

さらに周りを囲むバンカーは高さが数メートル以上あり、もちろんバンカーからグリーンは見えない。これに気まぐれな風が吹くので大変である。自分も4回プレーしたが、幸運にもティーショットがグリーンに乗ったのは一回だけである。
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小泉泰郎 = 文

この記事は 「Forbes JAPAN No.27 2016年10月号(2016/08/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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