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2016.06.26 10:00

なぜ、古典を読んでも人間力が身につかないのか

kai keisuke / shutterstock

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古典を読んでも、なぜ、人間力が身につかないのか?
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ときおり、経営者から、その質問を受けるが、その理由を、一つの視点から語っておこう。

かつて、ある雑誌の編集長が、永年の実績のある優れた経営者に、「経営の要諦」を聞いた。すると、その経営者は、短く、一言を語った。

「社員を愛することです」
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一方、ある雑誌の記者が、部下の教育に悪戦苦闘する中間管理職に、その苦労談を聞いた。すると、彼は、ためらいながら、こう答えた。「正直に言って、あまりにも仕事の覚えが悪い部下を見ていると、その部下の指導を諦めたくなるときがあります。『もう無理だ』という心境ですね。しかし、一晩寝て、朝起きると、なぜか、彼と上司・部下の関係になったのも、何かの深い縁かなと思うんですね……。そして、考えてみれば、自分の若い時も『覚えの悪い部下』だったなとも思うんです。すると、不思議なことに、もう少し頑張ってみようかと思えるんですね……」

さて、この二つのエピソード、どちらが、「人間力」を身につけていくために、参考になるだろうか?

どちらが、「人間成長」という山道を登っていく者にとって、糧になるだろうか?

答えは、明らかであろう。

前者の経営者は、決して間違ったことを言っていない。「社員を愛する」。それは、誰もが認める「経営者として、かくあるべし」の姿であろう。

しかし、こうした言葉を聞かされても、一人の未熟な人間としては、「それは分かるが、しばしば目の前の一人の社員を愛せない心境になるから、苦しんでいる……」と呟きたくなるのではないか。

これに対して、後者の中間管理職の言葉は、そうした未熟な人間としても、励まされる言葉であり、何かを学べる言葉である。

誰もが、一度や二度は、諦めそうになること。一晩寝た後、人間の心境は変わること。相手と出会ったことの縁を思うこと。自身の若き日の未熟さを振り返ること。いずれも、深く学べる言葉である。

すなわち、この二人の人物が語った、二つの言葉。一つは、優れた人間が、自身が登り到った高き山の頂を指し示し、「この高き山の頂に登るべし」と語る言葉。一つは、心の弱さを抱えながらも、そして、遅き歩みながらも、高き山の頂をめざして一歩一歩登っていく人間が語る、「未熟な人間でも、このような心の置き所を大切に歩めば、少しずつでも登っていけるのではないか」との言葉。

実は、古典と呼ばれるものには、この二つの種類の言葉、「理想的人間像」を語る言葉と、「具体的修行法」を語る言葉が書かれている。

そして、未熟さと心の弱さを抱えて歩む我々にとって、真に励ましとなり、糧となるのは、実は、後者の言葉であり、こうした言葉をこそ、古典を読むとき、我々は、深く読み取るべきであろう。

そして、優れた古典の中には、著者自身が、一人の人間としての未熟さと心の弱さを抱え、それでも、人間としての成長を求め、悪戦苦闘しながら山道を登っていくなかで書かれたものが少なくない。

例えば、『歎異抄』という古典。親鸞の思想を学ぶとき、多くの人が、この書から入っていく。しかし、これは、親鸞の書いた書ではない。それは、師である親鸞に付き従いながら、親鸞の思想を体得しようと修行を続けた弟子、唯円(ゆいえん)の書いたもの。

同様に、例えば、『正法眼蔵随聞記』という古典。道元の思想を学ぶとき、多くの人が、この書から入っていく。しかし、これもまた、道元の書いた書ではない。それは、師である道元に付き従いながら、道元の思想を体得しようと修行を続けた弟子、懐奘(えじょう)の書いたもの。

実は、優れた古典とは、一人の人間が、未熟さを抱えながら、どのようにして高き頂に向かって山道を登っていったかを語ったものである。

そして、我々の胸を打つのは、人間としての未熟さと弱さを抱えながらも、ひたすらに成長を求めて歩み続けた、その姿であり、自身の歩みの遅さに、ときに天を仰ぎ、溜め息をつきながらも、決してその歩みをやめなかった姿であろう。

古典を通じて我々が深く学ぶべきは、登るべき「高き山の頂」だけではない。その頂に向かってどのように歩んでいくか、その「山道の登り方」を学ぶべきであり、山道を登るときの「心の置き所」をこそ、学ぶべきであろう。

HIROSHITASAKA
田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院教授。世界経済フォーラム(ダボス会議)GACメンバー。世界賢人会議Club of Budapest日本代表。近著に『人間を磨く』『人生で起こること すべて良きこと』。tasaka@hiroshitasaka.jp

文=田坂広志

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