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2016.05.04

女性CEOによる名門マニュファクチュールの再興

クリスティーネ・フッター グロスマン・ウーレン社CEO。1964年ドイツ生まれ。学士号取得後、ドイツの高級時計ブランドでグローバル・マーケティングを経験。2008年、グロスマン・ウーレン社を設立。

機械式腕時計の故郷といえば、スイス・ジュラ渓谷。そう思い込んでいないだろうか?隣国ドイツにも時計の故郷と呼ばれるエリアがあって、ザクセン州グラスヒュッテには時計作りに関わる人々や企業が集結している。

2010年に第一作を発表したモリッツ・グロスマンも、この町に拠点を置く。創業は08年と若いが、自社で一貫して生産するマニュファクチュールである。針ひとつにも拘って自社で生産をしており、部品の内製率は85〜90%と異例なほど高い。そして、ドイツに時計作りの基礎をもたらしたとされるモリッツ・グロスマンの名を掲げるだけあり、時計作りの哲学は本質をおさえたもの。モリッツ・グロスマンの時計を作るグロスマン・ウーレン社創業社長のクリスティーネ・フッターは語る。

「木の葉型の針は、視認性を高めるために、インデックスまで届くように細く仕上げます。一本一本、手で炙って、ブラウンバイオレットの色にするのですが、この色が出るのは一瞬しかありません。また、針に取り付ける固定リングの部分まで磨いて圧入するなど、すべてにおいて丁寧に作りこみます」

自身も時計職人であり、ドイツの老舗時計ブランドでマーケティングに携わった経験を持つ彼女にとって、時計ブランドの立ち上げは長年の夢。元気な女の子だったフッターは怪我でスポーツの道に進むことを諦めたが、近所に住む友人が時計の世界を教えてくれた。ドイツの時計業界に身を置く中で「“グロスマン”の名前を持つ時計ブランドを作りたい」という夢を抱く。そして、とある時計エンスージアストとの出会いが彼女の夢を現実のものにした。

ブランドを立ち上げるにあたり彼女が選んだのは、グラスヒュッテに大きく貢献したモリッツ・グロスマンの名だった。この地に時計作りを広めた友人のフェルディナント・アドルフ・ランゲに対し、モリッツ・グロスマンは19世紀のドイツ時計学校の創設に多大な貢献をし、当時国外で書かれていた最先端の時計学の文献を独語に訳した功績の持ち主だ。

設立2年後にファーストモデルを発表し、わずか5年で5作目を発表するまでに成長させた。モリッツ・グロスマンの名がグラスヒュッテから世界に届く一歩として、日本に世界初のブティックもオープン。そして今回、その1周年を記念した日本限定モデル「テフヌート ジャパンリミテッド」を発表。フッターの夢が、またひとつ現実になったのだ。

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Moritz Grossmann Boutique
桜並木に面した、小石川の静かな町並みに佇むブティック。7メートルもの高い天井が高級感のあるなかにも心地よさを演出。
東京都文京区小石川4-15-9
03-5615-8185(営)11:00-19:00(休)日・月曜日

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Moritz Grossmann
Tefnut Japan Limited
ブティック・オープン1周年を記念した“テフヌート”の日本限定モデルは、RG/WGの素材違いで各15本の限定生産。36.00×8.32mmの小ぶりなケースに搭載されるのは、196個ものパーツからなる手巻き式自社製キャリバー102.0。シンプルな2針+スモールセコンドで、ブラウンバイオレットの針は自社で手仕上げ。手縫いのアリゲータストラップと合わせてエレガントな雰囲気。価格は、280万円(RG)、290万円(WG)

フォーブス ジャパン編集部 = 文

この記事は 「Forbes JAPAN No.22 2016年5月号(2016/03/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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