ゴルフ場の数は、その国の経済力に比例する?

photo by Chris Condon/Getty Images

ゴルフほど、その国の経済力と密接に結び付いたスポーツはない。 世界のゴルフ場のうち、その半数がアメリカに立地するが、 そのアメリカのゴルフ場もまた、経済力の盛衰につれ、 そのあり方を変えてきた。さて、わが日本のゴルフ場は?

投資銀行のバンカー時代、アメリカ各地の会社を頻繁に訪問していた。当然、その機会を利用して、幾多のゴルフ場を訪れた。いちばん印象に残っているコースは?と問われれば、ベスページ・ステート・パーク・ゴルフクラブのブラックコースをあげる。

このコースは、パブリックコースでありながら、2002年、全米オープンを開催したことで知られる。そのときの優勝者はタイガー・ウッズだから、記憶されている方も多いだろう。元々ティリング・ハースト設計だったが、全米オープン用にリース・ジョーンズが大幅改造を加えて超難関コースに仕上がっている。

ロングアイランドにあるベスページ州立公園の中にあり、朝、ジョン・F・ケネディ空港に降り立ち、そのままタクシーでコースに直行、空いている組に入れてもらう。といっても超人気コースなので、下手すると5時間くらい待たされる。しかし、そこは独り身の気軽さで、運がいいとすぐにプレイできるときもある。

一年中プレイできるが、特に秋の季節の美しさは筆舌に尽くしがたい。プレイを終えてタクシーで急いで戻ると、マンハッタンの常宿に夕飯時には帰れるのも、多忙を極めた投資銀行マン時代には堪らない魅力だった。

もうひとつ忘れられないゴルフ場がある。クリーブランドに本社があったTRWというアメリカ第2位の自動車部品会社を訪問したときことだ。クリーブランド自体はアメリカの地区連銀があることで有名だが、正直言って寂れた街という印象だったが、訪問した本社はゆったりとした素敵な建物だったのに驚いた。しかし、もっと驚いたのは、本社の周りにある美しいゴルフコースだ。

商談相手のCFOに聞けば、そのゴルフ場は、1970年代までは接待や従業員向けに会社で保有していたが、1980年代に株主のリターン要求や日本の自動車部品メーカーの台頭で経営が苦しくなって手放してしまったとのことだ。

時は2000年代初頭。ちょうど日本の自動車関連企業も日本発の不良債権問題、円高不況、韓国メーカーの台頭などにより、困難に立ち向かっていた時期だ。わが世の春を謳歌しているようにみえるアメリカといえども、20年、30年前には同様な困難をくぐり抜け、今に至っているのだ。こうした経験値による理解は極めて重要である。理解していないと闇雲に恐れたり、逆に敵対心を持ったりするものだから。そんな感慨を抱いて帰路についたのを今でも思い出す。

一方で、ゴルフというスポーツほど、国力と密接に結び付いたスポーツはないのではないだろうか。英国ゴルフ協会(R&A)の総本山、セント・アンドリュース1番ホールの傍らにそびえる歴史館に面白い展示がある。ゴルフ場の増え方を国別に比較した表だ。英国で最も増加したのは、産業革命を通じて最も国力が充実した1800年代終盤、まさにパックス・ブリタニカの時代だ。

アメリカにおいてはパックス・アメリカーナを謳歌した第二次大戦後の1950~1970年代。わが日本では、高度経済成長の末期からバブル時代、パックス・ジャパーナといわれた1970年から1980年代に著しく増えた。R&Aが、この3カ国を取り上げて比較しているのには意味がある。

R&A発行の「 Golf around the world 2015」によると、世界のゴルフ場総数は206カ国34,001コース。その半分の15,372がアメリカ、続いて英国の2,636、3番目が日本の2,383であるからだ。日本は世界第3位のゴルフ大国なのだ。
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文=小泉泰郎

この記事は 「Forbes JAPAN No.19 2016年2月号(2015/12/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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