多くのリーダーシップ本が慎重すぎて明言しない「ひとつの考え」
ビジネスにおいてエゴが問題だと言うと、誰もがうなずく。だが、人が経験するすべての根底にある本質的な現実は、脳ではなく「意識」なのかもしれないと言うと、会場の半数が静まり返る。
現実には、人生は2つの陣営のいずれかで生きることができる。
ひとつ目は、人生とは自分の頭の中だけで繰り広げられるマインドのゲームであり、恐れや比較、そして終わりのない解決すべき問題のリストで構成されているという見方だ。ビジネス界の大半はこの世界に住んでおり、キャリアの前半における私自身もそうだった。
もうひとつの世界、すなわち私が今いようと努めている世界では、人は世界を分断されたものではなく、つながっているものとして経験する。問題は相変わらず生じ、恐れも訪れる。しかし、それらに向かい合う人物は、かつてそれに溺れていた人物とはもはや異なる。
いったんその転換が起これば、その変化は決してかすかなものではない。
多くの経営幹部が飛ばしてしまう問い
何年も前、医師の診察室に座り、以前の私であれば周囲のあらゆる人をコントロールしようとする悪循環に陥っていたような診断を受けたときのことを覚えている。
しかし代わりに、私は恐れの下にある静けさに近いものを感じ取った。あたかも自分の一部が、次に起こるどのようなこととも、すでに折り合いをつけているかのようだった。その静けさは、楽観主義や意志の力から生まれたものではない。そもそも恐れを認識している「何か」との間に、それまでとは異なる関係性が築かれたことから生まれたのだ。
では、こうした気づきはどこから来るのだろうか。大半の人々は、暖炉が熱を生み出すように脳が意識を生み出すと考えている。だが私は異なる見解を持っており、まさにこの問いの解明にキャリアを捧げてきた少数の真摯な研究者グループもその見解を共有している。
意識の研究者であり著述家でもあるピーター・ラッセルは、意識とは神経細胞によって作られる副産物ではなく、現実の根底にある基本的な性質であり、頭蓋骨がたまたま生成するものというよりは、宇宙に最初から含まれているものに近いのではないかと長年にわたり主張している。
あえてこの話題を取り上げる理由
自らの意識の源泉について何を信じているかは、デスクに持ち込まれるあらゆる対立や挫折に対処する姿勢を、静かに形作っている。
フォーブスのシニアコントリビューターであるネル・デリック・デボワーズは、本誌で私の活動をプロファイリングした際、このことの実用的な側面を見事に表現した。優れたパフォーマンスを発揮するリーダーにとって本当の問いとは、十分懸命に働いているかどうかではない。1日の中で行っていることのうち、どれだけがその場に応答する本物の知性であり、どれだけが自動操縦で動く古いソフトウェアなのか、ということだ。
私の経験では、意識的な気づきこそが、ソフトウェアがようやく静まり、頭の中のノイズが解放されたときに実際に反応するものだ。これに関連する議論の一部は「自己認識によって脳の回路を書き換えた方法」で詳しく解説している。
私の言葉をそのまま鵜呑みにする必要はない
意識に関する私の見解を受け入れなくても、そこから導き出される実践から恩恵を受けることはできる。意識が脳を超えて存在するのだと信じる必要も、研究者たちが現在も議論を重ねている哲学的な問いに決着をつける必要もない。ただ、自分の思考に自動的に従ってしまう前に、その思考に気づくことができる自分自身の側面に興味を持てばよいのだ。
思考と反応の間にあるその小さな隙間こそが、リーダーシップの変化が始まる場所である。批判を受けたり、取引が破談になったり、部下に失望させられたり、あるいは恐れがまだ起きていない未来を予測し始めたりしたとき、即座に反応するのではなく、自分の内側で何が起きているかに気づくのだ。時間が経つにつれ、その気づきがより賢明な対応をとるための余地を生み出す。
それこそが、私がそもそもこの問題を提起する究極の理由だ。意識に関する理論は今後何十年も未解決のままかもしれない。しかし、古いマインドのプログラミングに支配されたまま人生を過ごすのか、あるいはそれに気づくほど目覚めた状態で過ごすのかという問いには、今日から答えを出し始めることができる。



