8年前、私はアリゾナ州のキャメルバック山とピエステワ・ピークを、連日、ひとりで登った。履いていたのはほとんど溝のないナイキのシューズだった。時間は限られていて、次にいつ戻ってこられるか分からなかったので、より良い状況を待つのではなく、その機会をつかむことに決めた。
山頂に着いたとき、まるでミス・アメリカになったような気分だった。私は1990年代にミスコンテストを観ながら育ち、何か特別なことを成し遂げたいと夢見ていた。山頂に立ったあの瞬間、幼い頃のあの感覚が蘇った。王冠も、観客も、私の名前を呼ぶ人もいなかった。ただ挑戦的なことをやろうと決め、やり遂げただけだった。
先日、ある高級スポーツカーのオーナーとの会話で、あの登山のことを思い出した。彼は自身のビジネスでの成功と、コロラド州のパイクスピーク登山について語っていた。私には登山の肉体的な過酷さも、頂上に到達する満足感も、何か意味あることを成し遂げたときに得られる確かな成功の実感も理解できた。
私は、自分が投資をし、事業を所有し、研究を行い、Forbesに寄稿していることを話した。私の仕事は、金融行動、公共政策、そして人々が金銭や機会についてどのように意思決定するかという領域にまたがっている。だが、自分の実績を共有すると、それらはすぐに軽く扱われ、あたかも彼の実績がすでに彼の優位性を証明しているかのように、会話は先へ進んでいった。
私が引っかかったのは、彼の成功そのものではなかった。それは評価できる。問題は、私たちの実績が序列化される必要があるという前提だった。私は相手の経験に関心を持って会話に入ったのであって、自分の実績の意義を擁護するつもりはなかった。
この出来事は、女性の自信をめぐる議論でしばしば見落とされる区別を思い出させた。女性は、自分の実績を認識し、効果的に伝え、そのうえで誰かがそれを軽んじたときには異議を唱えることができる。問題は必ずしも彼女が発言しようとするかどうかではない。時として、聞き手が彼女の成し遂げたことを認めようとするかどうかなのだ。
自分の価値を知っているだけでは不十分なことも
研究は、女性にとって実績を伝えることがなぜ複雑になり得るのかを説明している。経済学者のクリスティン・エクスリーとジャッド・ケスラーは、「自己アピールにおけるジェンダー格差」で、伝統的に男性と結びつけられてきた課題において、同等の成果を上げた男性と比べ、女性は自分のパフォーマンスを控えめに説明する傾向があることを明らかにした。この差は、自分をアピールするインセンティブが取り除かれても残った。
しかし、問題は女性が自らの成果を伝えようとするかどうかにとどまらない。2024年に『Annual Review of Psychology』に掲載されたレビューで、ミシェル・ライアンとテクラ・モーゲンロスは、女性の職業的な地位向上を目指す取り組みが、しばしば女性の能力が評価される環境に対処するのではなく、女性自身の行動を変えることに焦点を当てていると論じている。彼女たちの分析は、女性にはただ自信や自己アピール力を高めればよいという前提に異議を唱えるものだ。
自分の実績を過小評価する女性もいる。一方で、自分の貢献を理解していながら、それを認めようとしない人や環境に直面する女性もいる。どちらの経験にも注意を向ける必要があるが、それぞれに求められる対応は異なる。
似たような断絶はお金に関しても起こり得る。女性は相当な資産を築いても経済的な安心感を得られないことがあるのと同じように、職業上の実績を積み重ねてもその意義を十分に認識できないことがある。しかし一方で、女性が自分の実績を完全に理解していても、それを認めようとしない人々に出会うこともある。
競うことなく実績を伝える
自分が成し遂げたことを説明することと、自分の実績が他人のそれを上回ると主張することは別物である。
ビジネスの成功を漠然と語ることは、その人が何を築き、運営し、成し遂げたかを具体的に描写することよりも情報量が少ない。山登りも同様だ。パイクスピークへの登頂とキャメルバック山への登山は、異なる経験と挑戦を伴う。文脈なく比較しても、どちらの実績についてもほとんど語ることにはならない。
職業上の実績にも文脈が必要だ。チームを率いること、予算を管理すること、研究を発表すること、事業を築くことには、肩書きだけでは評価できない責任が伴う。効果的な実績の説明は、3つの問いに答えるものである。何に責任を負っていたのか。何をしたのか。その結果、何が生じたのか。
同じ区別は経済的な豊かさにも当てはまる。自分が経済的に安定しているか、守られているか、より大きな選択の自由を築けているかを測る方が、誰かと口座残高を比較するよりも、自分の進歩について多くを教えてくれる。職業上の成功も、他人の実績ではなく、自分の責任、貢献、機会を通じて評価されるに値する。
成功を伝えることが経済的に重要な理由
女性には、社交の場で実績を比較することに関心がないかもしれない。しかし職業上の意思決定においては、他者が彼女の資質を理解する必要がある。雇用主は、記録されていない責任を認識できないかもしれない。採用委員会は、履歴書にない専門性を評価できない。クライアントは、料金を支払う前にサービスの価値を理解する必要がある。
女性が自分の実績をどのように伝えるかは、評価のされ方にも影響し得る。『International Journal of Selection and Assessment』に掲載された研究で、フランシスカ・クリングスらは、採用時に強い自己アピールを行った場合の反発が、候補者のジェンダーと年齢に部分的に左右されることを明らかにした。強い自己アピールを行った年長の女性と若年の男性は、有能だと見なされた一方で、対人面の評価や採用評価ではあまり好意的に受け止められなかった。
こうした知見は、女性に対して単に「もっと主張的になれ」とするアドバイスを複雑にする。職業上の価値を伝えることは重要だが、組織の期待、ステレオタイプ、機会へのアクセスも結果を左右する。自己アピールに関する研究は、それ自体が賃金への影響を証明したり、ジェンダー間の賃金格差を説明したりするものではない。
それでも、関連する実績を伝えないままでは、意思決定者はその人の貢献を示す証拠を持たないことになる。責任、プロジェクト、測定可能な成果、専門的な成長を記録した実績の記録を保つことは、昇進、報酬、新たな機会に関する会話を強化することにつながる。
経済的な比較もまた、文脈を無視すれば同様に誤解を招きかねない。女性の退職後資産の目安は、キャリアの中断、介護の責任、世帯状況の違いを見落とすことがある。同様に、職業上の成功を評価するには、肩書きや給与、履歴書を比較するだけでは不十分だ。
自信は、誰かが負けることを必要としない
自信は、話し方だけでなく、聞き方にも表れる。他者の成功を認めても、自分の成功を小さくすることにはならない。そして、自分の実績を伝えるにあたって、他者をより見劣りさせる必要はない。
すべての実績が、意図的に追い求めた野心から生まれるわけではない。自ら選んだわけではない状況を通じて、強さや経済的自立が培われることがある。そうした実績は公に祝われることはないかもしれないが、担った責任、下した決断、築いた安定は、やはり意味を持ち続ける。
ビジネスの成功とパイクスピークについての会話は、他人の反応が自分の成し遂げたことの価値を決めるわけではないと気づかせてくれた。私は、他者の実績を認めつつも、それが自分のものより上位であるという前提を受け入れずにいられる。
実績について明確に語ることが欠かせない場面はある。特に報酬、職業上の機会、経済的自立がかかっているときにはそうだ。一方で、比較が何の役にも立たない場面もある。
あの山頂に立ったときの感覚を、私は今も覚えている。ミス・アメリカを見ていた幼い少女は、達成には王冠と拍手がついてくると想像していた。しかし私が発見したのは、そのどちらもなくても、あの感覚は訪れるということだった。
8年経った今も、私はあの山々に戻っていない。間違った靴であっても、機会があったときに登っておいてよかったと思う。あの登山が私に何を求めたか、私は知っている。他者の実績がそれを変えることはなく、私の実績が他者のそれを損なうこともない。



