帯水層が枯渇しつつあるとき、技術的な処方箋は単純に聞こえるかもしれない。揚水量を減らせ、というものだ。
だが、何千もの農家がその揚水を前提に生計を築いてきた場合はどうなるのか。土地の価値、債務、作物、設備のすべてが、水への継続的なアクセスを前提としている場合はどうか。揚水に使う電力が補助され、農業政策が生産を後押しし、政府がいま縮小しようとしているまさにそのシステムを何十年にもわたり支えてきた場合はどうか。
そのとき「揚水量を減らす」ことは、もはや単なる水管理上の判断ではない。
それは政治的・経済的な再編の問題になる。
これが、Global Water Bankruptcy報告書が、水破産の政治経済学に慎重な注意を払うよう求める理由である。政治経済学は、利害、インセンティブ、制度、権力が、誰に水が行き渡り、誰がその利用から利益を得て、誰が変化に抵抗でき、最終的に誰がコストを負担するのかをどう形づくるかを問う。
こうした問いは、水システムが身の丈を超えて消費し始めたとき、とりわけ重要になる。水破産とは、人間と水のシステムが再生可能な水の範囲を持続的に超えて利用し(支払い不能)、同時に実質的に不可逆な損傷を被っている(不可逆性)状態を指す。だが、水破産を診断することは課題の一部にすぎない。より難しい問いは、問題が十分に理解され、多くの解決策がすでに知られているにもかかわらず、なぜ社会は持続不可能な慣行を続けるのかである。
答えは、水の過剰消費は損失を生む前に利益を生むからだ。そして、その利益と損失が均等に配分されることはほとんどない。
水の過剰消費から利益を得る誰かがいる
持続不可能な水利用が無意味であることはめったにない。
灌漑を増やせば、農業生産、農村の所得、輸出、雇用が増える可能性がある。地下水の揚水を増やせば、干ばつ時に農場を存続させ、農家の雇用を守ることができる。都市用水を増やせば、住宅供給や経済成長を支えることができる。安価な水は、産業やデータセンターの生産コストを下げ得る。
これらは現実の利益である。
だからこそ、問題が明白であっても改革は難しくなる。
ある流域や帯水層が「過剰利用」されていると言うとき、私たちはしばしば、社会全体が1つの誤った判断をしているかのように問題を描写する。実際には、水利用は、利害、影響力の水準、資源への依存度が異なる集団の間に分配されている。
継続的な過剰消費から、他の人々より多くの利益を得る人々がいる。
そして、今日利益を得ている人々が、明日コストを負担する人々と同じであるとは限らない。
農家はしばしばシステムの中に取り込まれている
農業は世界の淡水取水量のおよそ70%を占め、水ストレスの高い多くの地域で水利用の大きな割合を占めている。だが、農家に単に水の使用量を減らせと言うだけでは、問題の政治経済学を見落とすことになる。
農家は、公共政策がそうした投資をしばしば奨励してきたために、井戸、ポンプ、灌漑システム、果樹園、温室に投資してきた。将来の水へのアクセスに関する期待に基づいて土地が購入され、事業と生計が築かれてきた。水が引き続き利用可能であるという前提で融資が組まれてきた。作物の選択は、補助金、保証価格、輸出奨励策、市場需要によって形づくられてきた。
政府が水利用を削減しなければならないと判断する頃には、農家は個人の選択だけでなく、数十年にわたる政策によってつくられたシステムに深く組み込まれている。
農家は水問題の重要な一部ではあるが、その問題を生んだシステムの設計者ではない。
この区別は重要である。
当局が突然、揚水制限を課し、補助金を撤廃し、水価格を引き上げれば、水文学的な論理は妥当であっても、社会的・政治的な影響は深刻になり得る。農家は所得を失い、土地価格は下落し、投資は座礁資産化し、農村コミュニティは経済的衰退に直面するかもしれない。彼らにとって水は生計の根幹であり、家計の経済的安定を支える柱である。
そうした状況下で抵抗が起きることは、特に代替的な生計手段がない場合、驚くべきことではない。
政治的インセンティブはしばしば先送りを助長する
水破産が進行するのは、水利用をめぐる政治的インセンティブが非対称でもあるからだ。
過剰消費の利益は、多くの場合、即時的で目に見えやすい。
揚水を増やせば生産を支えられる。水の配分を増やせば開発を支えられる。安価な水は利用者を満足させる。
一方でコストは、帯水層の枯渇、生態系の劣化、水質低下、地盤沈下、不可逆的な生態系被害として、何年も後に現れる可能性がある。
言い換えれば、過剰消費の利益は今日享受できる一方、請求書はずっと後になって届く。
これは政治的に重要である。
改革が避けられなくなると、この非対称性は逆転する。水破産に陥ったシステムを回復させる利益は広範かつ長期的であることが多い一方、改革のコストは即時的かつ集中的である。
これは、選挙で選ばれた公職者が短い選挙サイクルの中で動くことの多い民主主義体制において、とりわけ難しい政治的取引である。
環境にはロビイストがいない
これは、水管理における最も重要な政治経済上の問題の1つである。
帯水層や干上がった湿地を回復させることの受益者には、何百万人もの人々、地域社会や下流のコミュニティ、将来世代、生態系が含まれ得る。だが、その利益は分散しており、実現するまでに何年もかかる可能性がある。
一方、改革によって水の配分、補助金、所得、資産価値を失う立場にある人々は、自分たちが何を失うのかを正確に理解している。彼らは組織化できる。ロビー活動ができる。抗議できる。将来世代にはそれができない。枯渇した帯水層や干上がった湿地にもできない。
この不均衡は、社会が持続不可能な軌道を何年も認識しながら、それでも変化に苦しむ理由を説明する一助となる。
水利用は経済価値に組み込まれる
長年にわたる水利用は、やがて単なる配分以上のものになる。それは経済的期待になる。
農場、企業、不動産価値、融資、コミュニティはいずれも、水への継続的なアクセスを前提に構築され得る。既存モデルから利益を得る企業や産業もまた、ポンプを販売する事業者、ダムを建設する事業者、水不足への主要な対応として追加的な技術やインフラを推進する事業者を含め、現状の一部を維持するインセンティブを持つ可能性がある。
水文学者には持続不可能な配分に見えるものが、農家や事業主には、生涯にわたる投資の土台となってきた既得権に見えることがある。
そうした期待を変えることは、富のあり方を変え、勝者と敗者を生み、補償を求める声を生じさせる。
これが、改革が先送りされるほど難しくなる理由の1つである。
価格設定だけでは政治問題は解決しない
より良い価格設定、計量、会計、有害な補助金の撤廃は、水の過剰利用に対処するための古典的な処方箋に含まれる。いずれも重要であり、役立ち得る。
だが、政治経済学が問うのは、そうした改革が導入されたときに何が起きるのかである。
大規模アグリビジネスと小規模な家族経営農家は、上昇するコストを吸収する能力が同じではない。裕福な都市と貧しい農村コミュニティは、適応する能力が同じではない。何十年にもわたり優先的アクセスの恩恵を受けてきた部門は、歴史的に水の安全保障がほとんどなかったコミュニティと同じ立場にはない。
したがって本当の問いは、「水の価格はいくらであるべきか」だけではない。
同時に、次の問いでもある。
安価な、あるいは過剰配分された水から利益を得てきたのは誰か。
調整する能力を持つのは誰か。
均衡を回復するコストを誰が負担すべきか。
そして移行期に誰が守られるべきか。
テクノロジーは政治的な問いに答えられない
工学は依然として不可欠である。淡水化、排水の再利用、漏水削減、灌漑効率の向上、貯水、その他の技術はいずれも水の安全保障を改善し得る。
だが、テクノロジーは追加された水をどう配分するかを決めることはできない。
効率化による利益が支払い不能に陥った水システムへの圧力を減らすのか、それとも単にさらなる生産を可能にするだけなのかを決めることはできない。新たな供給が、家庭、農業、産業、都市成長、あるいはAIインフラのどれを支えるべきかを決めることもできない。
テクノロジーは水収支の規模を変えることができる。だが、その収支をどう分け合い、誰が利益を得て、誰がコストを負担するのかを決めるわけではない。それらは政治的・経済的な選択である。
水破産の管理とは移行の管理である
水破産が政治経済の問題でもあるなら、それを管理するには、水文学的な上限や工学プロジェクトだけでは不十分である。改革を政治的、社会的に実行可能にすることが必要だ。
農業について言えば、それは農家が作物を転換し、水利権を手放し、所得を多角化し、債務を再編し、代替的な生計手段を開発するのを支援することを意味するかもしれない。場合によっては補償が必要になる可能性もあるが、補償は破産状態の継続に補助金を出すのではなく、公正な移行を可能にするものであるべきだ。
それには、社会的保護、農村投資、透明性のある水会計、誰がどれだけ消費を削減しなければならないのかについての明確なルールも必要である。また、一部の活動は現在の形ではもはや存続可能ではない可能性を認めることも必要だ。
公正な移行とは、既存のすべての水利用を永遠に維持することではない。避けられない変化を公平に管理することである。
誰が利益を得て、誰が失い、誰が支払うのか
これこそが、最終的に水破産の政治経済学である。
現在の水システムの運営から利益を得ているのは誰か。
そのシステムが転換されるとき、誰が損失を被るのか。
移行の費用を誰が支払うのか。
そして、その答えに影響を及ぼすだけの政治的権力を持つのは誰か。
これらの問いは水管理にとって二次的なものではない。改革がそもそも成功するかどうかの中心にある。
したがって、水破産の大きな課題は、どれだけの水を節約しなければならないかを特定することだけではない。持続不可能な水利用が、生計、資産価値、補助金、制度、期待に組み込まれてしまったシステムを、どのように変えるのかを決めることである。
だからこそ、多くの解決策がすでに知られていても、水破産の解決は政治的にこれほど難しい。水文学上の貸借対照表は、変化が必要であることを示している。政治経済学は、その変化が可能かどうかを決めるのである。



