出井伸之はなぜ芸術家に会い続けたのか
坂崎乙郎(さかざき・おとお)。その頃、早稲田大学で教鞭を取っていた美術評論家だった。父、坦(しずか)も新聞社の美術担当記者から同大学で教授となっており、父子二代にわたって早稲田で教壇に立った。
『絵を読む』(新潮選書)、『夜の画家たち』(平凡社ライブラリー)など、多くの著書をもつ坂崎であったが、その存在感は美術界で突出したものがあった。私は当時、たまたま大学で坂崎の授業を受けていたが、坂崎のとつとつとしながらも、常に学生らに問いかけてくるような語り口を、今でも思い出す。坂崎は、当時珍しかった数多くのスライド写真を駆使し、若きシーレについて伝えた。とりわけ、今も鮮明に記憶に残っている言葉がある。
「絵とは、画家が命を削って描いたもの。それを、視る者も命がけで視なければ、画家の本質を理解はできない」
淡々とした話しぶりとは裏腹に、そこには坂崎の強い意思が込められていた。また、「作品から作者の本質を視なさい。本質に迫りなさい」は、1年の授業を通じて、坂崎が何度も口にした言葉だった。「絵は読むものだ……」。坂崎はこう言い、作品に表出する作者の生い立ち、育てられ方、その生き越し方を丹念に読み解いていった。
坂崎は、一閃の光のようなシーレの短すぎる人生を克明にトレースしながら、「この絵の、不自然なほどの線の太さはどこから来るものなのか?」「退廃的とも思える色使いの必然はどうしてなのか?」と、視線を徹底してシーレの内面に向け、問い続けた。そして、シーレが内包している孤独、死、情念、つまりシーレの本質を浮き彫りにしていった。
“本質”を視ろ——その教えが響くのは、アートの世界だけでない。ビジネスの世界も同様だ。時代を一変させたインターネットが登場したとき、その本質をいち早く理解し、変革を唱えた経営者のひとりが、出井伸之だ。そう、1995年からソニーの社長、会長を歴任し、“エンタメのソニー”の原型を創った経営者だ。
私は今春、『ソニー神話を壊した男 出井伸之が創った未来』(小学館)を上梓した。その執筆過程で、出井のソニー時代の予定表を見て驚嘆したことがある。その予定表に書き込まれていた会食相手は、おおよそエレクトロニクス会社の社長が会う相手ではなかったからだ。
そこに並んでいた名前の多くは、指揮者や歌手、画家、彫刻家といった表現者で占められていた。出井が意識的に、会社やビジネスの世界から遠く離れた芸術家たちとの交わりをもち続けていたのは明らかだった。
芸術家は本質を凝視し、それに迫ろうとする。出井は、芸術家と共に時間を過ごしながら、本質を見抜く感覚を身につけていったのではないだろうか。
「インターネットに乗り遅れると、ソニーは隕石で滅んだ恐竜と同じ運命を辿る」。これは1994年、30年以上も前の出井の箴言だ。インターネットが社会に与える“本質”を、これほど見事に表現した言葉を私は知らない。


